化学物質のリスク管理と情報―産業界の診方・観方・味方―
- このコラムは、化審法(「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」を指す。以下同様。)見直し合同委員会のメンバーでもあった北村卓氏に、化学産業界の第一線で過ごされてきた豊富な経験に基づき執筆をいただいたものです。
- このコラムに記載されている内容に関し、法的な対応等を保障するものではありませんのでご了承ください。
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目次
- 第1回 はじめに
- 第2回 リスクコミュニケーション
- 第3回 リスク情報の伝達手段
- 第4回 企業間の情報開示
- 第5回 REACH規則と成型品中の化学物質
- 第6回 再生(リサイクル)原料
- 第7回 化学製品の物質情報の開示
- 第8回 これからの化学物質管理
第1回 はじめに
化学製品/化学物質に起因するリスク(化学的リスク)に、社会的関心が高まっています。2002年のヨハネスバーグの環境サミット(WSSD)では、2020年までに「化学物質の製造とその使用による人の健康と環境への重大な悪影響の最小化を目指す」ことになり、2006年の国際化学物質管理会議(ICCM)では、目標達成のために世界規模の政策的枠組みである「国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ」(SAICM)が採択されました。この一連の国際会議には産業界の代表も参加し目標実現のために努力することを宣言しました。
SAICMが各国政府、国際機関、産業界、市民団体等の進めるべき取組をまとめ、世界の化学物質法規制はハザードベースからリスクベースに制定・改正が進んでいます。2007年施行の欧州REACH規制やわが国の改正化審法そして現在検討されている米国の改正TSCAはいずれもSAICMの具体化の動きです。しかし、あらゆるリスクを想定して法制化することは実質的には不可能ですから、化学物質を製造し取扱うすべての利害関係者は、法律の遵守に留まらずそれぞれの立場でリスクを考慮した管理が求められています。このハザードからリスクへという化学物質管理手法の変化には、関係者間の情報交換や共有化が必要で、さまざまな形で企業活動に影響を及ぼし始めています。
複数の化学物質が配合された化学製品が多いことから、リスク評価のために組成開示が求められるようになることは容易に予想されます。また、化学製品ではない成型品でも、含有化学物質への関心が高くなっています。含有物質とその毒性(健康影響)や生態影響の情報から製品のハザードを推測し、用途や使用(生産)量の情報を用いてリスクを評価しようというものです。成型品でも含有化学物質がゆっくり染み出てきて人の体や環境中に移行し、影響を及ぼす懸念があります。
このコラムでは、組成情報のように企業秘密やノウハウに当たる可能性のある製品情報を、必要とする需要者にどうすれば的確に届けることができるのか、という点を考えてみたいと思います。
第2回 リスクコミュニケーション
化学物質に関するリスクコミュニケーションが実施されることがあります。立場の異なる関係者が共通のテーマ(化学的リスク)について意見を交換し、互いに理解を深めることが目的と考えられています。これまでは工場から排出される化学物質による周辺地域への影響や敷地内の土壌汚染などが取り上げられることが多かったようです。洗剤、塗料、接着剤などを除けば化学物質と認識される消費者用製品が少なく、不特定多数の利害関係者が一堂に会することが難しいこともあって、消費者用製品中の化学物質に関するリスクコミュニケーションの機会はあまりなかったものと思われます。ここにあげた消費者用製品は用途もはっきりしており、使用時に配慮することも容器等に記載されています。しかし、成型品では同じ材料(物質)が様々な形で用いられているので、化学的リスクを考えるときは用途を加味して、製品毎に評価することが必要になります。建物の解体工事で発生する石綿などの特別な事例を除けば、日常生活の他のリスクに比べて、化学的リスクは必ずしも高いリスクあるいは緊急なリスクであるケースが多いとは思われませんが、放射線や電磁波などと同様に、目に見えない、素性が分からないものとして、科学的なリスク評価結果よりも、どちらかと言えばリスクが高いものと思われ、不安視されることがあります。
消費者製品には成型物が多いので、含有物質に関するリスクコミュニケーションの必要性に直面するのは成型品の生産者でしょう。しかし、化学物質の取扱いを専門としない事業者にとって、化学的なリスクコミュニケーションは難しい課題と思われます。欧州化学品庁(ECHA)はREACH規則のもとで各種のリスク評価のガイダンス文書を作成していますが、その中に成型品中の化学物質に関する文書もあります。このような文書にある手法などを参考として、情報を川上企業やインターネット等に求めることになりますが、日本では成型品中の化学物質に関する情報の提供がルール化されていません。そのため、REACH規則への対応のためには、必要に応じて背景を説明して情報を川上企業に求め、川上企業は適切な情報を提供することになります。このようにある種のリスクコミュニケーションが企業間でも必要とされるようになってきました。
【筆者注】
このコラムでは製品を供給する生産者(販売者)を川上企業、需要者を川下企業と記すことにします。川上企業となるのは必ずしも化学企業だけではないこと、そして化学企業間にも川上と川下が存在することに注意して頂きたいと思います。
第3回 リスク情報の伝達手段
リスク分析ではまず影響を受ける「対象」を特定します。対象は一般消費者なのか、消費者の中でも特定の集団に属する人々なのか、工場で取扱う作業者なのか、あるいは環境中の野生生物なのか、要するに、「誰(何)にとってのリスク」かという点を決める必要があります。含有物質とその毒性(健康影響)や生態影響の情報から製品としてのハザードを予測し、使い方や使用(生産)量のばく露情報などからリスクを評価しますが、特定する対象によって必要なハザード情報もばく露情報も変わります。
化学物質のハザードデータは、インターネットの普及で比較的容易に入手できるようになりましたが、どのデータが使える(使う)のかは、評価者自身が決めなければなりません。入手できるデータの質はまさに玉石混交で、リスク評価ではデータの信頼性を考慮しなければなりません。この作業には専門性が必要で、事業者自身が行なうことも、専門家にアウトソーシングすることもありますが、どちらの場合でも事業者は企業の社会的責任として、評価結果と安全な取扱方法を、それを必要とする人々に伝達することが求められます。
事業者が混合物製品そのものの安全性データを持つことがあまりないので、安全性の評価は含有化学物質を知ることから始まります。日本では、化管法、労働安全衛生法、毒劇法、化審法などの法律でMSDSなどに製品中の物質名称と含有量を記載することを定めています。その対象物質数は1000を超えているのでMSDSからでも全組成が分かることもあります。
法律による組成の開示要求は強制力の点で最も効果的ですが、客観的な基準に基づく対象物質の選定作業には時間が必要です。また、低ハザードや生産量が少ない物質は法律では情報開示の対象になりませんが、用途によってはリスクが無視できない場合もあります。このように必ずしもMSDSにある情報だけから安全性の評価が可能というわけではないので、生産者には法律の枠組みを超えて製品のリスクと安全な取り扱いに関する情報の提供が求められているといえます。
化学製品の組成は、重要な「企業秘密」と考えられることがあります。配合された各物質は、製品を特徴づける機能の実現に役割を分担しているといえるので、組成の開示は技術的なノウハウや製品の設計思想の開示に繋がります。もし、同業他社にその情報が漏れればそこからヒントを得て類似製品や改良製品が生産されることが懸念されます。「最新の分析技術を用いれば組成はわかる」と言われますが、完全に均一な製品はともかく、ミクロ的に不均一な部分を持つ製品の完全な組成分析は簡単ではありません。微量添加物質による性能向上技術は、特許で守ることも難しく、企業はノウハウとして技術を保持することもあるので、リスクに関与しない微量成分を含めて全組成の開示に生産者が抵抗感を覚えることは無理のないことと思われます。
国や地域により対象物質は変わっても化学製品の組成情報がMSDSで開示され、工業的に使用されている間は伝言ゲームのように情報が伝達されるのは、世界共通の仕組みです。しかし、成型品にも含有物質情報が必要になると、情報の伝達ルートはこれまで以上に長く複雑なものになります。川上は開示情報を必要最小限にしようとしますし、川下は非開示部分に必要な情報が隠れていると困るので、できるだけ多くの情報を求めようとします。このように双方の思惑の違いもあって、サプライチェーンが長くなると必要とされるところまで情報が届きにくくなっているのが実状でしょう。しかしREACH規則に限らず、改正化審法や改正TSCAもリスクベースの化学物質管理を指向しているので、組成情報の必要性は高まるばかりで、世界的に有効な伝達の仕組みと運用のルールが求められています。
第4回 企業間の情報開示
化学製品の安全性情報の伝達には、MSDSが用いられますが、成型品(特定の形状を持ちその形状が製品の重要な機能に関連するもの)には、その手段がありませんでした。しかし、欧州のRoHS指令発令やREACH規則の成立以降は成型品中の化学物質に関心が高まり、サプライチェーンをさかのぼって含有物質の調査が頻繁に行われるようになりました。
各国の化学物質を規制する法律は、リスクに基づく管理に改正が進んでおり、それとともに化学物質管理に関する情報伝達は、川上から川下への一方通行から双方向的なものに変わってきています。これまで川上は企業秘密等の理由で組成開示には必ずしも積極的ではありませんでした。しかし、RoHS指令で規制対象とされる重金属はポータブル型の蛍光X線分析装置の非破壊検査で容易に測定できるのに対し、成型品中の有機化合物の分析は困難であるため、含有化学物質の情報を川上に求めることが必要になってきています。また、リスク評価には用途を考える必要がありますが、これまでは川下から川上に用途目的等の情報を開示する商習慣がなかったので、リスク管理に必要な情報の交換・共有化は進んでいないのが実状でしょう。しかし、REACH規則では物質の登録時に用途の記載が求められ、特定されていない用途に用いるときには、改めて登録とリスク評価が必要になります。REACH規則のガイダンスによれば、用途情報が少なければ少ないほど詳細なリスク評価が難しく、その結果、デフォルト値を使用することで実際以上に高リスクの評価になることもあるでしょう。
4.1 化学物質情報の開示の手段
アーティクルマネジメント推進協議会(JAMP)は、MSDSへの記載が義務化されている国内法規制対象物質以外で、REACH規則やRoHS指令などの海外法規制に対応するために、化学製品にはMSDSを補完するMSDS plusという書式を、部品等の成型品にはAISという書式を用いることを提案しています。情報交換のためのツールとして、書式の共通化は効率性の点で重要なことです。MSDS plusもAISも国内法が提供を義務づけた書類ではないので、必要に応じて川下が川上に要求することになりますが、調査対象物質リストをその都度作成し、川上に内容と必要性を説明する従来のやり方に比べれば、使い勝手が良いことは明らかです。川上も顧客ごとに異なるリストを受け取り、内容を吟味する手間から解放されることになります。化学企業間にも需要者と供給者がありますが、そこでもMSDSとMSDS Plusという統一書式の利用が利便性に優れていると思われます。
欧州のREACH規則・RoHS指令だけでなく、日本の食品衛生法や建築基準法も成型品中の化学物質を規制対象としていますが、そこではMSDS plusやAISは使われていません。これは、このような書式の制定前から、国内ではB to Bの情報交換が定着していたからでしょう。
4.2 リスク管理と用途情報
化学物質のリスク管理では用途に関する情報が重要です。意図的に放出される化学物質を含む成型品は別にして、成型品中の化学物質は、使用期間中は製品内に留まると想定されています。しかし微量ではあっても、子供用のおもちゃからを乳幼児が舐めて、含有される化学物質が体内に移行する可能性や、衣服の繊維処理剤では長時間皮膚に接触することにより人の健康に影響を及ぼすおそれが指摘されています。このように、化学物質には適切な用途と不適切な用途があることが認識されるようになりました。
ハザードが基準であれば、製造・使用の禁止、当局への生産数量報告やMSDS等による情報の開示など、生産者への規制が主体になりますが、リスク基準の規制は特定の用途への禁止・制限や廃棄方法の指定などのように、製品の全ライフサイクルを視野に入れます。サプライチェーン上のすべての関係者は自社製品の最終的な消費者用の用途に無関心ではいられなくなっています。この点は、わが国の改正化審法でも同じ状況にあることを忘れてはなりません。
用途を考慮して上市直前に商品化を断念した事例や、代替品の検討で商品化が遅れた事例もあります。ビジネスは時間との闘いですので、情報交換の不足で商品化が遅れるようなことは避けることが賢明です。川上と川下が互いに重要なビジネスパートナーであればあるほど、化学製品の採用に当たって早い時期に化学物質の情報交換が必要になるのではないか、と思われます。
第5回 REACH規則と成型品中の化学物質
欧州のREACH規則は、グローバル化の進展に伴い世界中に影響を及ぼし、欧州域外企業には特別の運用上の課題と困難点が指摘されています。本稿では、「プラスチック成型品」を念頭に、欧州輸出の場合にREACH規則が国内の川上(化学品)・川中(部品)・川下(組み立て)企業間の情報伝達に及ぼす影響を考えてみます。成型品から意図的に放出される化学物質は、基本的に化学製品と同じ扱いになるのでここでは考えません。
本稿はREACH規則への対応の網羅的な解説を目的にしていませんので、全容の理解には各方面からの各種解説をご参照頂ければ幸いです。
5-1 制限物質・制限条件
輸入・使用が制限され、表示が義務付けられる附属書XVIIとその付録(Appendix)に収載された物質に対する規制は、化学製品だけでなく成型品にも適用されることがあります。成型品中の化学物質ではアスベストが世界的に規制されていますし、特定の用途に適用される欧州のRoHS/ELV指令もありますが、REACH規則は全ての成型品に化学物質管理を求める最初の法規制です。
REACH規則の有害性物質は毒性カテゴリーで規制されますが、日本とはクライテリアが異なる場合があるので、対象物質は附属書等での確認が必要です。リスク管理を目指すREACH規則では、物質のハザードとともにばく露(用途)管理も重視しているので、多種類の物質数を収載する附属書の網羅的な調査よりも、用途をキーとして対象物質の情報を入手することが実際的です。含有量の許容値がある場合の情報入手に関する課題は、後ほど触れます。
5-2認可のための高懸念物質(SVHC)の候補
現在(2011年2月1日)は46物質がSVHC候補物質として公表されています。含有量が0.1重量%を超えれば輸入業者は販売先に安全に使用するための情報提供をしなければなりません。消費者から要求があれば45日以内に同様の情報を提供しなければならないので、域外事業者は輸入業者にそれを可能にする情報の提供が求められます。45日は域外事業者にとって、決して情報の収集と整理のために十分な時間ではないので、あらかじめ準備しておくことが必要でしょう。製品で0.1%未満でも交換部品で0.1%を超えていれば、その交換部品は規制対象です。輸入業者は成型品中のSVHC候補物質の輸入量の合計が年間1tを超えれば、届出が義務付けられているので、含有量(率)と輸入総量の把握が必要で、輸出事業者である域外企業も自社製品のSVHC候補物質に関する情報を整備しておくことが求められます。
5-3 含有量の調査
多くの制限物質(5-1)とSVHC候補物質(5-2)の規制値は0.1%です。RoHS指令でもカドミウム以外は1000ppmでした。数値基準があると分析データで確認したくなりますが、RoHS指令ではわずか四種の重金属の分析値(とそれに基づく保証)を求められただけで、データ取得と報告に多大の支障(費用と時間)をきたした経験を持つ方もおられるでしょう。REACH規則の対象物質数はこれからも増加するでしょう。有機化合物は重金属と異なり簡便な非破壊分析ができないので、実測値とそれに基づく不含有の保証を求めるとRoHS指令以上に混乱する可能性があります。分析するまでもなく閾値に達しないことの確信と信頼が持てる体制と仕組みが望まれます。
REACH規則の成型品に関するガイダンス文書では、「微量(Trace amount)が0.1%を超えることはほとんどない」と表現していますが、これは「管理下にある工程では非意図的な混入でこの値を超えることはほとんどない」、別の言い方をすれば「0.1%を超えるのは『意図的』な添加をしたときである」、ということを意味しているのでしょう。そのためには、ISO 9001のようなシステムで品質と工程が管理され、原材料の識別管理が行われていることが前提になります。
一般的には分析値で製品を保証する時には継続的にデータを取ることが必要になるので、長期にわたってビジネスを継続するのであれば、その都度、実測値(とそれに基づく保証)を求めるよりも、購入先の品質管理システムが十分に機能しているかどうかを調査する方が実際的です。国内の継続的な取引先であれば、0.1%という規制値に耐える品質管理ができるかどうかはわかりますが、単発の取引で品質管理の実態が分からない企業からの調達では、その都度自らの責任で分析する必要も出てきます。REACH規則への対応では、素性の知れたサプライチェーンからの原料調達が安全策になります。
5-4 成型工程での物質の生成と消失
成型品中の化学物質では、原料中の物質だけでなく、成型工程での化学物質の生成・消失にも注意が必要です。熱硬化性樹脂の成型工程では化学反応(硬化)がおこり、この工程で高分子鎖に取り込まれる化学物質や不純物とみなしうる物質は登録・届出の対象外ですので、モノマーや重合開始剤がSVHC候補物質であっても、成型業者は成型条件で残存量がどう変わるのかを知る必要があります。架橋して不溶・不融となった高分子ネットワーク(鎖)中の化学物質の定量は難しいので、供給元に成型条件等を示してモノマーの残存に関する情報を川上に求めることも必要になるかも知れません。そのような情報を参考に、成型品のREACH規則への該非を判断します。情報がなければ分析することになりますが、そのような厄介な作業を避けるために事前の情報交換が役に立つでしょう。
化学品が成型品に変化するとき、すなわちMSDS(MSDS Plus)がAISに変わる時の化学物質に関する理解を助けるために、JAMPや欧州化学物質庁(ECHA)は、いくつかの成型品を例にガイダンス文書を作成していますが、化学品を専門としない加工事業者には成型工程の化学変化を知ることは易しくないでしょう。このような文書を参考にするにしても、具体的な事例を挙げてのガイダンスしか示せないのは、この工程の理解が一般化しにくいことの証です。ガイダンス文書があっても、需要者と供給者の間での具体的な事例(製品)に関する情報交換は必要になるものと思われます。
第6回 再生(リサイクル)原料
今までは、素原料→化学製品→部品→成型品の後に廃棄となる一方通行の製品の流れを考えていましたが、今回は省資源や廃棄物の削減で利用が進んでいる再生(リサイクル)原料、特に再生プラスチックの問題を考えます。使用済みのプラスチック成型品では、回収・分別・洗浄後に、粉砕・ペレット化・成型工程を経て再生プラスチック製品として再び市場に戻るものがあります。再生原料に関するガイドラインは未公表ですので、ここではREACH規則の原則によった問題点を考えます。
REACH規則への対応では、サプライチェーン上の全ての企業で管理システムが機能することの有効性を記しましたが、再生原料にはこれを期待できません。工業製品は市場に出れば生産者の管理状態を離れ、使用済み製品はあるものは廃棄されまたは再生原料として回収されますが、その時には製品履歴や含有化学物質などの情報は失われています。EUへの再生ペレット(化学品)の輸出はあまりないでしょうから、日本国内企業への影響は少ないと思われますが、回収材料には様々な由来のものが混じり、どんな物質が含まれているかを予測することが難しいので、EUの再生ペレット業者にとって化学物質の登録は大きな負担でしょう。REACH規則の先進性の一つに、化学品以外にもリスクベースで化学物質を管理することが挙げられますが、運用次第ではEUのプラスチック材料のリサイクルに大きな影響を与える可能性があります。
成型加工業者自身が回収材料の粉砕から成型加工までを行えば、化学物質の登録作業は免れますが、それでも含有物質の確認は必要です。ポリマー材料には多種多様な添加剤が使用され、見た目は同じでも組成が異なる場合があるので、含有物質を知るには化学分析が必要です。EU内の回収材料であっても、規制内容が異なる域外からの輸入製品(成型物)によるものもありますし、寿命の長いプラスチック製品の中にはEU内の製品であっても製造時には規制を受けず、後から規制対象となった物質が含まれることもあります。このように再生プラスチックの利用では、含まれている化学物質の確認をすることが必要になります。さまざまな履歴を持つ回収原料は、成型工程や製品の質に支障が出ないように分別されますが、さらに含有化学物質による分別も行うことはコスト的に難しいでしょう。しかし含有化学物質がわからないと、制限物質が認められていない用途の製品に紛れ込むリスクがありますし、高懸念物質(SVHC)に関する情報の提供もできません。
日本から成型品を輸出する場合にも同様の注意が必要ですし、EUとの規制の違いを考えることも必要になります。再生プラスチックを用いた成型品のEU輸出で、回収原料の受け入れ検査を怠れば、REACH規則違反というビジネスリスクを負うことになりかねません。輸出の当事者でない川上企業には、情報がなければどれがEU向け製品なのかがわかりませんし、たとえそれがわかっても大多数の国内向け製品の中で一部の特定の製品のための、含有物質の分析と識別管理が強いられることになります。そのためのコストと手間は決して無視できないものになるでしょう。
再生原料は特性低下の防止や原料入手の制約を避けるために、バージン原料と混合されて使用されることがあります。その結果再生原料のリサイクルで、希釈されながらも規制物質を含む材料は数量が増加することになります。制限物質(Annex XVII)や認可候補物質の閾値の多くは0.1%ですので、例えば数%の濃度で規制物質を含む再生原料であれば、閾値以下にするには数十倍の希釈が必要で、言い換えればバージン原料をリサイクル原料の数十倍用いることでREACH規則に対応できますが、ここでも閾値の違いからEU向けと国内向けとの別々の管理が必要となります。
このように再生原料を用いた製品を規制の異なるEUに輸出するときには、あらかじめ国内のサプライチェーンでどのように対応するのか決めておくことが求められるでしょう。しかし、そこまでの手間をかけてあるいはリスクを冒して、再生原料を用いることにメリットがあるかどうかは疑問です。EU向けであることが分かればバージン原料のみで生産して規則違反のビジネスリスクを回避することができます。しかし、川上企業にとってはそれでもEU向けと非EU(国内)向けの二重管理から解放されるわけでなく、いたずらに負担が増えることが懸念されます。現在のREACH規則による成型品中の化学物質に関する規制は、既存の欧州規制を踏襲しているので大きな影響を見せていませんが、今後対象用途、製品群や規制物質数が拡大すると再生原料の使用に制約が出て、その結果、域外のサプライチェーンの化学物質管理に影響を及ぼすようになることも考えられます。
第7回 化学製品の物質情報の開示
これまでは、成型品を欧州に輸出する時に必要となる化学物質情報の伝達を円滑に行うためには、国内のサプライチェーン(SC)でもそれを支える仕組みが求められることを記しました。REACH規則は包括的な化学物質管理を成型品にも適用した最初の法規制で、良くも悪くもグローバルなモデルになる可能性があることと、日本からの輸出品目が多岐にわたっているためか施行後3年を経過しても、成型品への対応は未だに手探り状態であるように思われたので、このコラムでは成型品の問題から考えてみました。
今回は、化学製品(物質または調剤)の欧州輸出、中でもREACH規則で対応の難しい調剤・ポリマーの問題を考えます。既に多くの国では化学製品中の化学物質に対する法規制がありますが、REACH規則への対応には欧州域外である日本国内でも苦慮しており理由の一つには、原則として全ての物質(調剤は構成成分、ポリマーでは構成モノマー)の登録を輸入者に求めていることにあるでしょう。
輸入者は自身の登録にかえて、域外製造者の指名する「唯一の代理人(=OR)」の登録に依存することもできますが、その時はどのORの川下ユーザー(DU)に位置づけられ、そのORはどのような登録をしているのか、という登録情報を知る必要があります。ORもまた自らのDUに位置づけられる輸入者とすべての関連する輸入製品を把握しなければなりません。調剤製品の配合原料もまた調剤、さらにその原料も・・・、という場合もあります。原料から製品に至るSCに関する情報の無い状態から、輸入製品中の化学物質の調査が始まるので、SCを一段一段辿る成分情報の伝達作業が必要になります。SCの分岐で複数のORが関与することになれば、情報の伝達と整理は難しくなりますが、この複雑な作業を経ることで、ようやく輸入者とORの間で製品情報と登録情報が共有されます。
一般に、製品情報(輸入者名・製品名・販売数量など)や原料情報(原料名・調達先など)は「企業秘密」と考えられるので、特に戦略製品の情報をSCの上流に開示することは、欧州輸出に必要ということはわかっていても躊躇したくなります。通関時に必要となる登録情報が漏洩すればORはDUを管理できなくなるだけでなく「タダ乗り」も心配されます。このような理由でB to Bの製品・登録情報の授受には秘密保持協定などが必要と思われていますが、製品ごとにそのような協定を結ぶことは手間がかかり過ぎて不可能に近いでしょう。
輸入者は製品中の全ての物質がORのDUに位置づけられれば、安心してビジネスが継続できますが、それがわかるまでは不安定な状態に置かれます。未登録物質が含まれていたり、求める情報が得られなければ、組成変更や輸入者自身の登録が必要になるでしょう。多種類の化学物質を含有する製品や複雑なSCを持つ製品では情報の伝達がうまくできずに、欧州ビジネスを断念することも考えられます。経済のグローバル化の進展は、同時に輸出の機会を与えますから、SCを通じた効率的な情報伝達の仕組みが求められます。この困難な課題に回答を与えようとする試みのひとつが、JAMP参加企業が中心となって進めているOR2ISプロジェクトです。
輸入者の発信する製品情報が、SC上で「製品→原料→ ・・・ →原料→化学物質」に分解されて、物質ごとのORに伝わり、ORからは逆の経路で登録情報が輸入者に伝達される一連の情報の流れで、安心して情報の授受が行われ、情報も書き換えられないように、OR2ISは製品・登録情報を暗号化等で秘匿することを提案しています。OR2ISは端緒に就いたばかりで試行錯誤の段階にありますが、将来に渡り、必要とされるSC上の情報伝達システムとして機能することが望まれます。そのためには輸出に直接関わらないSCの中間業者の協力に負うところが大きいでしょう。
ここで「調剤・ポリマーの輸入者」と同じ立場にある「域内製造者」の登録作業を、輸入者のそれと比較してみます。域内で調達される化学物質は全て登録済みですので、域内製造者の関心事は、その物質の登録に自社製品の用途が含まれているかどうかという点になりますが、全ての化学物質には想定用途が必ずあるので、よほどの「想定外」でなければ追加の用途登録は不要です。「化学物質」とみなされないポリマーやポリマーアロイの製造では、原料化学物質の用途にモノマーとしての登録があるのか、自社製品の用途に規制や制限があるかどうかを考えれば十分です。ここに、輸入者と域内製造者の間には、SC上の情報伝達に関して極めて大きな差異を見ることができます。
このように、REACH規則は調剤やポリマーの輸入者(間接的には域外製造者)には、域内製造者に比べて、多くの付加的な作業と入手困難な情報の収集を強いています。REACH規則は、そのほかの点でも域外企業に実質的な不利益を与えていますが、これについては別の機会に考えたいと思います。
SC上の情報伝達の仕組みは、登録の問題が解決しても安全データシート(SDS)の改訂や分類・表示・包装に関する規則(CLP)への対応にも有効ですので、継続的な維持管理が必要でしょう。
第8回 これからの化学物質管理
物質固有の性質であるハザード(危険有害性)が、一定のクライテリアにある物質を対象とするハザードベースから、ばく露すなわち生産量や用途などを考慮するリスクベースに化学物質の管理が転換していくと、産業界の持つばく露データや製品情報の重要性が増します。
法律の制定時に全てのリスクを想定することは難しいので、法の規制はどうしても後追いの対応になりがちです。また、誰もが納得できる科学的正当性が求められることも、法規制が社会の要求に先行することを難しくしています。しかし、生産者や使用する事業者が、用途やライフサイクルのリスク評価の結果を判断して自主的に製品の上市や使用を中止することにはそのような制約がありません。罰則のない自主活動をどこまで信頼できるか、事業者間の情報伝達は十分に行えるか、という課題もあります。しかし、社会による企業評価の視点は変わってきているので企業経営は、法遵守・コンプライアンスの機能とともに、企業活動による環境・安全などの社会的責任に配慮することが求められています。このような背景から、企業の自主管理活動はこれまで以上に推進されることが期待できます。
本稿では、将来の期待に換えて、現在進められている化学業界による「直接の見返りを期待しない」自主活動を例示します。現在の活動が将来の活動を保証するものではありませんが、時代の流れを受けて産業界も変化していることが理解頂けるでしょうし、これからもそれは続くでしょう。
1)安全性情報の取得
OECDは高生産量物質(HPV)の安全性データ収集と初期リスク評価を進めています。1999年からは世界の化学物質製造事業者もこれに参画し作業を加速させました。既に671物質、日本からも51物質の評価文書が提出されています。さらに、日本の化学業界は国と連携してOECDや他の国で情報収集予定のない物質を対象に安全性データの取得を進めています(JAPANチャレンジ)。
2)レスポンシブル・ケア活動
レスポンシブル・ケア活動は、1988年にカナダで始まり、世界に広がりました。日本でも1995年から化学物質の全ライフサイクルに渡って環境・健康・安全対策を行い、改善をし、成果を公表する自主管理活動として進められています。その過程で安全性情報提供の書式がMSDSに統一され、後に化管法・安衛法の改正に取り入れられました。
3)未規制物質の安全管理
「ナノ材料」の安全性は物質特有の性質というよりも物理的状態に関係していると思われるので、現行の化審法では対処が難しい面があります。しかし、その安全性には世界が関心を寄せていることを受け、事業者はナノ材料の種類や取扱方法に応じた自主管理活動を進めています。
自主管理活動には自発的なものから当局の要請に応じるものまでさまざまな形式がありますが、多様な製品と使用形態に則した方策を選択して効率的にリスクの削減を図ることができます。自主管理活動では成果を上げるだけでなく、産業界は透明性の確保、情報の発信、コミュニケーションなどで社会からの信頼を得るためにさらなる努力が求められるでしょう。
REACH規則に続く分類・表示・包装に関する規則(CLP)やGHSへの対応では、混合物の生産者も自らの責任で製品のハザードを分類しなければなりません。コスト削減で安価な原料を選ぶことがありますが、原料情報が正しく開示されなければコンプライアンス上のリスクを負うことになります。価格や品質とともに情報で取引先を選択する時代になってきています。
これからの化学物質管理に重要となる情報伝達を効率的に行うには、共通の仕組みが求められます。REACH規則への対応では欧州域外も域内と同等、あるいはそれ以上に複雑な仕組みの整備が必要で、それでは製品個別の対応になります。輸出企業はそのためのコストの負担や人材の確保が強いられて、その結果、輸出を断念することもあるでしょう。実質的な非関税障壁は、REACH規則の「欧州化学産業の競争力を維持強化」という目的をも達成することになります。法規制には、自国企業に追加的な負担を求めつつも、同時に自国産業を育成強化するという役割があるはずです。環境と安全のために法規制が必要となる一方で、重複した規制の整理や国際整合化などで企業負担の軽減が望まれます。より軽い負担で目的が達成できる自主管理の推進も選択肢になるでしょう。現行の法律の枠組みを残したままの画一的・追加的な規制は、グローバル化の進む中で海外規制への対応も視野に入れなければならない日本企業には、大きな負担になります。
さらに、日本の重要な経済的パートナーであるアジア諸国に、歴史的に影響力の強い欧州の仕組みが浸透していることにも注意が必要です。最近になって法整備をすすめる国では欧州の規則に近いものが見られ、日本企業にはアジア輸出でも欧州と同様の対応が求められています。日本の規制の枠組みに近い形がアジア諸国に採用されるように、政府には対外的な影響力の行使を望みたいところです。