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これからの化学物質管理―化学物質とEmerging Issues―

  1. このコラムは、化審法(「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」を指す。以下同様。)見直し合同委員会のメンバーでもあった北村卓氏に、化学産業界の第一線で過ごされてきた豊富な経験に基づき執筆をいただいたものです。
  2. このコラムに記載されている内容に関し、法的な対応等を保障するものではありませんのでご了承ください。
  3. このコラムについてのご意見・ご感想を下記までお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。なお、いただいたご意見は、個人情報等を特定しない形で当ネットワークの情報発信に活用(抜粋・紹介)する場合もあります。あらかじめご了承下さい。

→ご意見・ご感想電子メール送付先:
  化学物質国際対応ネットワーク事務局(chemical-net@env.go.jp

目次

第1回 化学物質とEmerging Issues

Emerging Issuesの訳語として「喫緊の課題」が用いられることがあります。「喫緊」の持つ差し迫った語感からは、何を置いても解決すべき最優先の課題と思われますが、過去のEmerging Issuesでは、必ずしも迅速かつ適切に解決されたものばかりとは限りません。それどころか解決までに予想以上に長期間を要したものや、未解決のままに時間が経過し、そのうち社会の関心が薄れて話題に上らなくなったものもあります。行政府や国際機関が政策的に重要性や優先性を位置づけた課題を除けば、訳語としては文字通りの「新しく知られるようになった課題」とする方が相応しいでしょう。

化学物質のEmerging Issues(負の影響)と言えば、健康・環境への有害性が挙げられます。この場合の「新しく知られる」の意味としては、これまで考えられていなかった新しいタイプの有害性だけでなく、知られてはいてもあまり気にとめられていなかったものの、「安全・安心」を強く求めるように社会が変化する中で、改めて注目されるようになった有害性もあります。

かつての内分泌かく乱化学物質は、"Emerging Issues"でした。それまでは化学物質の毒性としては法規制の根拠となる急性毒性、亜急性毒性、腐食性、変異原性あるいは発がん性等に着目されていましたが、内分泌系に影響する可能性があるということで、科学的な研究が進められる前に社会的な関心が集まりました。性の決定に影響するのか、次世代につながる精子や卵子などの生殖細胞の質や量に影響を及ぼすのか、そうであればヒトという種の生存に影響するのではないか、ということで各種メディアでもセンセーショナルに取り上げられました。内分泌系に直接作用すれば、それはそれまでに想定されていなかった新しいタイプの有害性(毒性)といえます。その後、多くの研究者によって新しい知見も得られていますが、何が内分泌かく乱化学物質でどのような悪影響が現れるか、という点ではまだ結論に至っていないようです。毒性の評価には毒性試験方法の確定が必要ですが、何を判断基準とすべきか、という点では、とりわけ悪影響が顕著になっていない場合には、専門家の間でも見解が分かれることがあるからです。そのため、10年以上を経過した現在でもなお科学的な解決や法規制の要否の判断には、「不足する科学的知見を集めることが必要」という常識的な結論に留まっていることもやむを得ないでしょう。内分泌かく乱化学物質の問題は、Emergingであるが故に解決が難しいことを示しています。

この問題を考える過程で、有害性があるとすれば子供や妊産婦のような感受性の高い特定のグループへの影響は一般の場合とは分けて考えることの重要性が改めて認識されるようになり、その後の化学物質の有害性や環境への影響を考える上で重要な問題提起となりました。

化学物質を取り扱う事業者や規制する立場の行政には、リスクに対する説明が求められるようになっています。しかし、内分泌かく乱化学物質のようなEmerging Issuesでは、「毒性試験方法が定まっていない。どんな影響がどのようなグループに及んでいるのか特定できない。」という状態にあるので、リスク(あるいは安全性)を説明する情報の不足は明らかです。「ゼロリスク以外は容認できない」とする立場との間ではリスクコミュニケーションの成立は難しいときがありますが、社会は必ずしもゼロリスクを求めているわけではないので、リスクコミュニケーションを通じて社会が納得できる形で当面の解決を求めることになるでしょう。

このコラムでは化学物質のEmerging Issuesを例にとって、社会の懸念や不安が先行してはいるものの、リスクとその評価に関して十分な情報が得られていないときに、説明責任を負う事業者に何が求められているのか、を考えたいと思います。

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第2回 SAICM/ICCM.2のEmerging Policy Issues

2009年の第2回国際化学物質管理会議(ICCM 2)では、Emerging Policy Issuesとして、生産から廃棄までの全ライフサイクルを念頭において、人の健康や環境に対して顕著な悪影響が予想される物質のうち、これまではその影響が認識されていなかった、あるいは十分には対策が取られていなかった物質が取り上げられました。各国・機関等から集まった36の課題から、1.ナノテクノロジー、工業的ナノマテリアル(提案国・機関IOMC、IFCS、日本;以下同)、2.製品(成型品)中の化学物質(EU、日本、IFCS)、3.電気・電子製品の廃棄物(アフリカ諸国、ペルー)、4.塗料中の鉛(Toxics Link、IFCS、US)の四分野に整理されました。また、ストックホルム条約で規制対象となったパーフルオロ化合物(PFCs)もその後追加するように提案されています。

これらの課題はPolicyとあるように、各国・地域・機関を取り巻く現状を反映し、政策的に解決を図ろうとするもので、全てが必ずしも世界共通の抱える課題と考えるべきものではないのでしょうが、しかし解決にはグローバルな対策と協調が求められます。

ナノテクノロジーとそれに使われるナノマテリアルは、新規材料として急速に用途範囲が拡大しているにも関わらず、人の健康や環境にどのような影響を及ぼすのかがよく分かっていない、まさに「物」も「影響」もEmerging( = 新しく出現した)であるといえるでしょう。この課題では各国政府、国際機関および産業界は安全性を確保する活動だけでなく、ベネフィットについても十分な理解が求められる活動が必要とされています。近年の技術と製品の急速なグローバル化は、ナノテクノロジーを牽引する先進国だけでなく途上国・移行経済国にも必要な情報の提供とそれへのアクセスの確保が求められています。

製品(成型物 = Article/Product)中の化学物質には、これまでも各国・地域で用途に応じて特有の規制がありましたが、EUのREACH規則では用途に関わらず特定の規制物質に関する情報の伝達が必要になり、グローバルな製品流通でその影響は域外にも及んでいます。EUのように影響力の強い地域の規則に対しては、域外の事業者も否応なしに対応が迫られます。何が規制対象物質で、国際的な整合化は可能かということも大きな問題ですが、企業秘密の保護も考慮に入れてサプライチェーンに沿って物質情報を伝達させるにはどのような仕組みで実現できるのか、ということも大きな問題です。

電気電子製品は使用される化学物質の種類も多様で、ライフサイクルを通じた化学物質の管理が求められています。希少金属も使用されているので、先進国ではリサイクルも進められていますが、途上国では廃棄物処理のインフラが十分に整備されていないこともあり、先進国からの中古製品が廃棄物となったときに適切に処理されていないことが指摘されています。バーゼル条約の廃棄物の問題と関連して検討することの必要性が指摘されています。

鉛の人の健康に対する有害性は古くから知られていますが、現在でもまだ代替物が見つからないなどの理由でいろいろな用途で使用されています。人の健康影響への懸念から、特に塗料中の鉛については子供へのばく露を低減させることが求められています。そのためには鉛の有害性に対する社会的な認識の向上、代替化に向けての産業界への支援や政策的なばく露削減の実施を求めています。鉛へのばく露は塗料から由来するものばかりではないので、他の用途へのプログラムの拡大や、同様に有害性が指摘されている他の重金属の問題にも広がる可能性があります。

世界には途上国、移行経済国と先進国があり、化学物質や化学製品の生産国と消費国があります。立場が違えば必然的に課題が変わります。次回からはそのような背景を踏まえて、ICCMの挙げたEmerging Policy Issuesが提起した問題を考えていきたいと思います。

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第3回 SAICM/ICCM.2のEmerging Policy Issue(2)

【ナノテクノロジー、工業的ナノマテリアル(材料)】

ナノテクノロジーは、社会に大きな変化をもたらす可能性のある新しい技術で、新分野への応用の拡大が予想されています。しかし、これを実現する新規材料であるナノ材料が、人の健康や環境(EHS)にどのような影響を及ぼすのかはよく分かっていません。EHS研究は端緒についたばかりというのが実状です。まさに「物」も「影響」もEmerging( = 新しく出現した)な課題です。

化学物質の健康影響を明らかにする毒性試験では、化学物質は化学構造式で定義づけられることが前提となっています。しかし、ナノ材料は微細粒子の大きさや形状から特徴ある機能が発現されるので、その特徴と毒性の間に何らかの関係があるのかどうかが明らかにされることが望まれます。化学的特性とともに、粒子の粒度やその分布、表面積、表面の機能、荷電、凝集状態などの物理的特性を考慮する必要があります。特に、ナノ材料のような微細粒子は、粒子状態で器官や組織に分布する可能性が指摘されているので、生体内での粒子の挙動についても研究が必要でしょう。

ICCM.2はこれまでに報告されているナノ材料の毒性研究の中には、リスク評価に適用が難しいものがあることを指摘しています。これは、物理的特徴を明確に意識していない研究や、予想される人へのばく露状況とは乖離した条件で実施された動物実験データが報告されていることを言っているものと思われます。化学物質の毒性試験に準じた手順で実施されていることで、ナノ材料の何が毒性要因で、超微粒子状態がどのように影響しているのか、といった最も知りたい情報が明確でないものもあります。問題がEmergingであるために、毒性試験の標準的なプロトコルが未作成の現状ではこれもやむを得ないことかもしれませんが、安全性の評価技術が整備されることが望まれます。

ナノ材料の化学的影響と物理的影響が独立して評価され、両方の結果から毒性とリスクが予測できるようになれば、安全な新規材料の開発や新規用途への展開の加速が期待されますが、そのような予測が許されず安全性の確認のために、新材料を製品毎に試験しなければならなくなると、材料開発のスピードに影響を及ぼすおそれがあるでしょう。

2011年9月28日に開催されたシンポジウムで、NEDOの中西プロジェクトによってナノ材料のリスク評価に関する新しい手法が提案され、そこでは超微粒子であることの代用特性としての比表面積と毒性が関係づけられました。ナノ材料の最大の特徴(微粒子)を強く意識した研究であり、凝集体の問題にも踏み込んでいました。ナノ材料の特徴を真正面からとらえたこのような毒性評価の手法が進展していくことが期待されます。さらにナノ材料の安全性(有害性)を検討するうえでは、ナノスケールの微細粒子とその凝集体が、それぞれ体内でどのような挙動するのか動態解析に関する情報が必要になるものと思われます。

ナノ材料の中には、アスベスト繊維との形状類似性から、発がん性の懸念が指摘されているものがあります。アスベストは化学的にはケイ素・鉄・アルミニウム・その他の金属の複合酸化物で、化学組成だけからでは発がん性を予測することは難しかったでしょう。アスベストでは、繊維長やそれと繊維径との比(アスペクト比)、含有する鉄分量が発がん性に関係しているのではないかと言われています。天然鉱物繊維であるアスベストでは、化学的特性と物理的特性を制御した試料を用いてそれぞれの特性に由来する影響を分離して評価することが難しかったのですが、特性を制御して生産することができる工業的ナノ材料ではそれが可能ではないかと思われます。

アスベストの有害性は既に1960年代には指摘されていましたが、世界の生産量のピークは1980年頃にあります。その後減少に転じたものの、そのスピードは決して早いとはいえません。人に対するばく露制御の技法は進歩しましたが、材料の代替は必ずしも順調というわけではありません。それはアスベストの持つ熱的・機械的・電気的特性があまりに優れているため、簡単には代替物が見つからないからです。アスベストではその発がん性が確定するまでに、多くの疫学的なデータを必要としました。ナノ材料に懸念を抱くのは、同じ過ちを繰り返してはいけないという思いからでしょう。そのためには、ナノ材料の特徴に適合した評価手法の開発が求められます。

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第4回 SAICM/ICCM.2のEmerging Policy Issue(3) 

【製品(成型品)中の化学物質】

今までは、化学製品からの化学物質による人の健康や環境への影響を考えることが多く、玩具・食品包装用資材・衣服用の繊維製品などの限られた用途を除けば製品(成型品)中の化学物質への関心はあまり高くありませんでした。しかし、使用時の消費者へのばく露、製造工程での労働者へのばく露あるいは廃棄物になってからの環境への放出が考えられるので、現在は製品(成型品)でも、製造から廃棄までの全ライフサイクルを念頭に含有物質のリスクを考えることが必要であることが指摘されています。サプライチェーンを通じて含有物質を伝達することは決して容易ではありませんが、情報をわかりやすく円滑に伝達するためには、1)対象化学物質は何か、2)書式をどうするかという2点が鍵になるでしょう。

REACH規則は製品(成型品)であっても高懸念物質(候補)が含有されていれば情報伝達の対象としました。将来的には欧州の化学物質に関する法規制はこれに準じた形に集約されていくでしょう。しかし、グローバルなモノの動きを考えるうえでは既に規制のある国や地域にも受け入れやすい仕組みが望ましいことは言うまでもありません。原料としての化学品も製品も国境を越えて移動しているので、規制が国や地域で異なると対応は大変です。用途によってはポジティブ(許容される化学品)リストが化学物質名ではなく化学製品名(○○社の××TM)で収載される場合もあります。成型品だけでなく化学製品もまた原料としての化学製品の配合で生産されることが多いので、生産者にとっては化学製品名リストの方が管理しやすいのですが、グローバル化の進展で、世界中に原材料を求めるようになると、化学物質名による管理が主流になることは避けられないでしょう。

化学品の配合情報を、生産者は重要な企業秘密と考えています。「包括的方針戦略」の15(c)に、商業的、産業的な秘密情報と知識の保護が明記されているので、これへの配慮と環境・安全のための情報開示のバランスが必要です。しかし、モノだけでなく生産活動のグローバル化が活発になると、フォーミュレーターへの情報開示で配合のノウハウが流出し、模倣品が出ることも気がかりです。海外には知的財産権を考慮せず模倣品を作ることに何の躊躇もない企業もあります。そのような事情から、環境や安全に係る情報の秘匿はできないものの、情報を開示する対象物質を決めることは生産者にとって難しい作業になるでしょう。科学的な根拠が乏しい中で「疑わしい」・「類似物質がそうだ」程度で情報開示を強制されることは生産者には抵抗感がある反面、消費者は重大な問題が発生してからでは遅すぎると感じるでしょう。企業にとって円滑な情報開示を優先させると、その対象物質は多くの国や地域で規制されても当然と考えられている限られた物質に留まるジレンマがあります。

情報伝達書式の使い勝手も制度の有効性を大いに左右するでしょう。REACH規則への対応で、わが国のアーティクルマネジメント推進協議会(JAMP)はMSDS PlusとAISの書式を定めました。これは、サプライチェーンの上流から下流に位置する産業界の合意に依っています。全ての関係者がこの書式に完全に満足しているとは言えないまでも、必要最低限の情報を無理なく伝達するために、サプライチェーンの関係者がそれぞれの異なるビジネススタイルを念頭にその立場を尊重し合って書式を決めたことに意味があります。ICCMはこれと同じ過程を辿ろうとするのでしょうか。そうならば、先の2つの書式は、ICCMの作業の起点になるように思われます。

ICCMから公表資料によれば、2011年3月のワークショップでは、ケーススタディとして日本を含め各国・地域で、法的なあるいは自主的な規制のある、玩具・繊維製品・電気製品・建設資材などに関する化学物質情報の伝達の現状が報告されています。しかし、特に新しい提案もなく日本のほうが情報伝達の手法では先に進んでいる印象があります。情報伝達では「あるべき論」だけでなく、実行可能な仕組みから始めることが肝要でしょう。日本を含めて各国・地域の既存の化学物質規制を踏まえて、ICCMではどのようなシステムが検討されるのか興味のあるところです。

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第5回 SAICM/ICCM.2のEmerging Policy Issue(4)

【廃棄物となった電気・電子製品】

前回の「製品中の化学物質」に関する問題点は電気・電子製品にも当てはまり、使用中の消費者へのばく露や製造過程での労働者による人の健康への影響を考慮するとともに情報の伝達が求められるようになっています。廃棄物となった電気・電子製品に含まれる有害な物質は環境に対する影響が特に懸念され、廃棄物の適切な処理能力を持たない途上国に輸出されて、そこで寿命を終えた電気・電子製品から環境中に放出された有害な物質による人の健康への悪影響や環境汚染の可能性がICCMでは指摘されています。

廃棄物の国境間移動はバーゼル条約で規制されていますが、中古製品として輸入されればすぐに廃棄物となるような製品にはこの条約には適用されません。輸出側がそれを予期していれば、いわばバーゼル条約をかいくぐった途上国の廃棄物による環境汚染になります。この問題をICCMに提起したのはアフリカ諸国とペルーで、中でもナイジェリアが最も熱心です。各種の資料をみると、そこには多量の中古あるいは廃電気・電子製品が持ち込まれていることが良くわかります。

電気・電子製品中の化学物質といえばまず思い起こすのは2002年に成立した欧州のRoHS指令とWEEE指令でしょう。RoHS指令の対象物質は、鉛、水銀、カドミウム、六価クロムの重金属とポリ臭素化ビフェニル(PBB)、ポリ臭素化ジフェニルエーテル(PBDE)です。電気・電子製品はそれ自身が火災の発火点になるので、プラスチック製の筺体は難燃化が必要ですが、2009年に難燃剤として用いられていたPBBとPBDEはPOPs(残留性有機汚染物質)として、リサイクルに関する緩和措置が取られているとはいえ、ストックホルム条約の附属書Aに収載され世界は廃絶に向けて動き出しました。欧州ではRoHS指令によって、PBBとPBDEを含む製品は2006年から市場に出すことが禁止されていますが、それ以前から消費者のもとで使用されている製品には含まれている可能性があります。それが中古品として輸出されれば、結果としてPOPsが国境間を移動することになりますが、回収中古品にこれらが使用されているかどうかを見極めることは容易ではありません。

電気・電子製品には各種の貴金属や希少金属も使用されています。将来の資源確保を目的として使用済み製品の回収もすすめられていますが、現在は高品位で回収することが経済的に成り立たない金属種があります。リサイクル技術が進み経済環境が整えば、国内市場で電気・電子製品は循環が可能になります。法規制だけでなく、そのような社会的な変化もまた、違法に近い形での途上国への中古製品の輸出を抑制することになるでしょう。

ナイジェリアの指摘では、中古/廃電気・電子製品は主として欧州から持ち込まれています。欧州は世界に先駆けてRoHS指令を制定しました。そのために禁止物質を含有する電気・電子製品は廃棄物となった時にリサイクルが難しくなったのでしょう。その結果バーゼル条約に抵触しない中古製品としての域外への持ち出しにつながったのだとすれば、電気・電子製品の管理方法の問題点を提起しているものと思われます。同様に、リサイクルに関しての時限的な緩和措置はありますが、ストックホルム条約で規制される難燃剤を含む電気・電子製品は自国での回収・無害化処理が求められるでしょう。廃電気・電子製品はもとより、すぐに廃棄されることが容易に予想される中古製品の廃棄物無害化処理能力を持たない途上国に「輸出」することは慎まなければならないでしょう。

有害物質による人の健康と環境への好ましくない影響の削減では、有害物質を使用しないことが最も近道であることは言うまでもありません。欧州ではREACH規則だけでなく、EuP/ErP指令・RoHS指令あるいはWEEE指令のように法制度化を進めています。しかし、対象製品と物質の網羅性と効率性の点で法制化は必ずしも優れているとは限りません。むしろ、グリーンケミストリーやレスポンシブル・ケアなどによる産業界の自主的な活動が、今後は重要になるでしょう。

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第6回 SAICM/ICCM.2のEmerging Policy Issues(5)

【塗料中の鉛】

ヨハネスブルグ・サミット実施計画第57パラグラフを受けてICCMがEmerging Policy Issuesとした「塗料中の鉛」は、これまでの課題よりも対象が限定的であるように見えます。鉛による健康障害は古くから知られており、顕著な有害性を示す子供への鉛含有塗料のばく露とその影響がはじめに取りあげられました。しかし、2011年11月の公開作業部会(OEWG)第1回会合では、労働者への職業的ばく露についても言及されています。将来的には鉛に限らず重金属全般に関するリスク管理の問題に発展する可能性もあるでしょう。

1990年代から世界的に進められたガソリンへのアルキル鉛の添加の廃絶で、血中の鉛量は減少しました。しかし、世界、とりわけ途上国では建物の内外装で使用される塗料の破片等が子供のばく露(経口摂取)要因となることや、補修・再塗装の工程での作業者ばく露が指摘されています。先進国では鉛塗料に対して最も強制力のある法規制化が進んでいますが、途上国では規制がないか、あっても必ずしも守られてはいないのが実状のようです。

室内の塗装が一般的な欧米や途上国では、家や学校などで塗膜あるいはそれが剥がれ落ちたものが、子供に対する鉛のばく露要因として無視できず、このような場所では鉛不含有の塗料を用いることが最良の解決策です。塗装は、美観を保つだけでなく腐食を防止するための有力な手段です。何層にも重ね塗りされる塗料のうち、表層部分では鉛を含有しない塗料の開発によりリスクは大きく低下しましたが、基材に近い部分で使用されるさび止め塗料では同等の性能が発揮できずに鉛の全廃には至っていません。ICCMは、消費者に鉛の有害性を周知させるとともに、産業界に対しても全廃に向けて技術的支援をすることにしています。

わが国では日本塗料工業会(JPMA)の自主活動や法律による特定の製品の鉛含有量規制あるいは東京都の「鉛ガイドライン(塗料編)」など、官民による鉛のリスク削減活動が進められています。このような活動が世界に広がることが望まれているのでしょう。

子供に対する鉛の障害では、景品等で使用される子供用装身具(ペンダント)を誤って飲み込み、急性中毒で死亡した事故が米国でありました。わが国では、子供の手に触れる可能性がある製品には鉛の含有量や表面のメッキ・塗装等の規制があり、誤飲の可能性のある小さい製品や部品に対してはさらに厳しい基準がありますが、この基準は国内生産者に適用されているものの、実質的に成型品中の化学物質に対する規制が行き届いていない現状では、輸入製品の多い玩具ではこの基準に合わない製品があるようです。厚生労働省による試買調査結果では、安価な輸入製品では相対的に鉛の含有量が多いことを指摘されています。製品の安全性の確保は、一定の基準を設けて生産と販売を法律で規制すべきか、それとも業界の自主規制に委ねることで十分なのか、あるいは製品に含有の有無やその量表示は求めるものの購買の可否は消費者の判断に任せるべきなのか、といった点については議論が分かれるところです。どの方法にも一長一短があり、強制力が最も強い法規制が必ずしも最も効果的とは限りません。リスクベースの化学物質管理では法規制と自主管理の組み合わせが適切であるように思われます。

【パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)】

PFOSは、化学的に極めて安定な炭素-フッ素結合を骨格に持ち、その特徴から、撥水・撥油性という特異な性質があるだけでなく極めて低い表面張力を示します。しかし、その炭素-フッ素結合のために分解されにくく環境残留性があります。米国環境保護庁(EPA)やOECDは健康影響として発生毒性や長期毒性が無視できないとしています。そのため、PFOSはストックホルム条約の附属書Bに収載され、わが国では化審法の第一種特定化学物質に指定されました。改正化審法では、第一種特定化学物質も製造・輸入・使用の禁止から、特定の用途に限って認められるようになりましたが、それも一時的な措置で、将来的には全廃を目指しています。

一方、数量は激減してはいるものの今でも世界では生産が継続されており、全廃には代替品の開発とその普及が求められます。代替品にはPFOSとは異なる構造のパーフルオロアルキル基を持つ物質や、その他の低い表面張力を持つ物質が検討されていますが、なかなかPFOSと同等以上の性能を実現することは難しいようです。それだけでなく代替物質には健康影響や環境影響がPFOSよりも格段に低いことが要求されますが、PFOSに比較して安全性データの取得は十分ではないので、現在その作業が同時に進んでいます。

PFOSも塗料中の鉛も、既に先進国では代替品の開発と廃絶への動きが進んでいるので、それを途上国に広めること、そのための技術的援助が求められていると言えるでしょう。

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第7回 化学物質のEmerging Issuesに関するその他のトピックス

7-1. 【SAICM公開作業部会(OEWG)と第3回国際化学物質管理会議(ICCM3)】

2011年11月開催の国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ(SAICM)の第1回公開作業部会(OEWG1)では、ICCM2からの四課題(ナノテクノロジー及び工業ナノ材料、電気電子製品のライフサイクルにおける有害物質、製品中の化学物質,塗料中の鉛)はICCM3に向けて活動を進めること、ペルフルオロ化合物(PFCs)の管理と安全な代替物への移行については情報の収集と交換を進めることが確認されました。「内分泌かく乱化学物質(EDCs)」と「環境残留性の高い医薬品汚染物質(EPPP)」の二つが「Emerging Issues」として提案されましたが、前者のみが課題として取り上げられICCM 3で検討されることになりました。

2012年9月のICCM3で出された各地域から活動の進捗状況報告とコメントには、途上国では個々の課題の解決以前にインフラの整備、リソースの確保や情報の共有化を強く望んでいることが伺われます。

更に途上国からは農業用化学物質にEDCsとしての懸念が示されていたようです。わが国で最初に作成された候補物質リストに数多くの農薬が挙げられていたことを思い出します。実際にはその農薬にはわが国ではもはや使用されていないものが多かったため、対象の化学物質として工業材料・工業薬品に社会の関心が移りましたが、途上国では食糧事情との関連で農業用化学物質に対して関心が高いことが伺われます。

EDCsは経済協力開発機構(OECD)などの国際機関でも研究が進められていますが、科学的に未解明の点が多く、内分泌かく乱作用が理由で規制されてはいません。最近の研究によれば化学物質と内分泌系の間には多様なメカニズムが考えられるようです。EDCsが新たなリスク懸念として社会的に関心が持たれてから久しくなりますが、依然として不明点も多く研究が進めば進むほど複雑さが明らかになっています。ICCMに取り上げられて研究が加速されることを期待したいと思います。

PFCsでは、パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)に代表される炭素鎖長が8のものが広く使用され、POP's条約や各国規制も対象はこの範囲に留まっていますが、ICCM3では異なる炭素鎖長のPFCsにも懸念が示されました。炭素鎖長と生物体内の滞留性の相関は比較的早い時期から報告されており、短いほど体内に滞留しにくいことが知られていますが、滞留性と毒性の両方を考慮して、どの程度の炭素鎖長まで、そしてどのタイプのPFCsに無視できないリスクがあり、規制が必要なのかということが明らかになることを期待したいと思います。

7-2. 【労働安全に関する化学物質のEmerging Issues】

欧州労働安全衛生機構(EU-OSHA; 2009)と国際労働機関(ILO:2010)がEmerging Issuesとして出した文書では、化学物質に起因する事故災害は依然として大きな労働安全の課題の一つとしています。EU-OSHAは、以下のように合成化学物質に限らず天然物や非意図的に発生する物質の問題も等しく、化学物質の問題と考えています。

  • 微粒子とダスト:
    ICCMと同様に、使用量が増加しているナノマテリアルは物質の新規性というよりも「特異な形状による危険性への検討が不十分」としています。作業現場で使用されるフォークリフト等のディーゼル機関から発生する排ガス・ミストや鉱物繊維へのばく露及びリサイクル工程で発生するダスト等の影響も微粒子の問題と捉えています。
  • アレルギー/感作性物質による皮膚と呼吸器の障害:
    エポキシ化合物・イソシアネート化合物や金属微粒子などを例示しています。労働現場では呼吸器とともに皮膚も主要なばく露経路であり、労働安全を考える上でポイントとなるでしょう。
  • 発がん性・変異原性・発生発達毒性(CMR)物質の取扱い:
    化学発がんは古くから職業疾病の一つとして知られていますが、近年はCMR物質による障害も懸念されています。世界でのアスベスト使用量が激減していますが、過去に使用された建物の解体等で発生する粉じんからのばく露は現在でも労働現場では大きな問題です。その他に、発がん物質では結晶性シリカ・芳香族アミン・アゾ化合物等の問題を指摘しています。
  • 発生発達毒性の見地からは、特に女性労働者の健康傷害の原因物質に対しての配慮が求められるとされています。
  • 特定の産業界に特有の化学物質の影響:
    半導体製造工程で使用される有害物質、建物解体や廃棄物処理で発生する有害粉じん・揮発性物質へのばく露などがあげられています。特に廃棄物処理は、何からどのような物質がどのくらいの量で発生するのか予測が困難で、廃棄物の分別管理とともに処理場の設備的な対応が求められます。
  • 複合ばく露:
    複数の化学物質にばく露した時に、どのような形で複合的な影響が現れるのかよく判っていません。一般に中小企業や下請企業ではばく露防止対策が不十分であるだけでなく、多種類の原料を取扱うことによる複合ばく露も懸念されます。ICCMで途上国や経済移行国では化学物質への対策が十分でないと指摘していることと共通する課題と言えるでしょう。

化学製品のユーザー業界がその危険性を十分に理解できていないことや、含有物質に関して供給者から情報が適切に伝達されていないことも問題としています。欧州では危険な作業に移民が従事することが多く、言語的・教育的な面からの情報伝達の課題が指摘されています。

ILOのあげた課題はEU-OSHAと一致する点が多くあります。わが国でも、これからは外国人労働者や女性が労働現場で働くことも多くなると思われますので、EU-OSHAやILOの指摘を対岸の火事と放置しておくことはできないでしょう。

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第8回 日本の化学物質に関するEmerging Issues

日本における化学物質に関するEmerging Issuesとして、アスベストの問題とこれからの化学物質管理で重要な役割を果たすと思われるリスクコミュニケーションを考えます。

8-1. 【アスベスト】

法規制の強化や企業の自主管理の進捗により、化学物質の環境汚染という点で私たちの生活環境は改善されています。しかし、法律で使用が禁止された物質でも、過去に使用されたものが今でも私たちの周囲に残っていることがあります。アスベストもその一つで、極めて安定で環境中での自然分解や無害化が期待できません。微量・短期間のばく露でも障害を引き起こす可能性があるので、取扱っていた労働者だけでなく工場周辺への飛散で近隣住民にも被害を及ぼすことがわかってきました。優れた特性を生かして主として建設用資材として用いられたアスベストも、1970年代には有害性が指摘されていましたが、日本の輸入・使用量はその後も増加し、ピークは1980年代です。2004年には全てのアスベストが法律で原則使用禁止となりましたが、1970~80年代の建築物は老朽化が進み建て替えの時期を迎えて、解体作業での飛散が懸念されます。1970年以降に限っても800万トン近くが輸入されたアスベストは大量の廃棄物として排出されます。作業は環境省の「アスベスト使用の建物の解体処理ガイドライン」などに従って適切に処理することが求められますが、作業前に使用箇所を漏れなく特定することは簡単ではないでしょう。阪神淡路大震災や東日本大震災で発生した瓦礫にアスベストが含まれていることが指摘されているように、アスベストの問題は決して過去の問題ではなく将来に続く現在の課題ということができるでしょう。

8-2. 【化学物質に関するリスクコミュニケーションとメディアの役割】

現在のわが国のEmerging Issueといえば福島第一原発から飛散した放射性物質でしょうが、ここではその放射性物質のリスクではなく、事故後のメディアの報道手法にリスクコミュニケーション事例として改善の余地があることを指摘したいと思います。

化学物質のリスクコミュニケーションにはいろいろなケースが考えられます。工場から排出される化学物質による周辺への影響などの地域的な課題や、製品を通じた消費者や環境への影響に関するものだけでなく、サプライチェーンでSDSなどを使って事業者間で交わされる含有物質とそのリスクに関する情報や化学物質管理政策に資するために事業者と規制当局の間の情報交換も一種のリスクコミュニケーションと考えることができるでしょう。

説明者が事実を隠ぺいしたり都合のいいことばかりを並べれば信頼を失ってリスクコミュニケーションそのものが無意味になるだけでなく、かえって関係を悪くすることもあります。しかし、悪意はなくても立場の異なる相手に真意を伝えることは易しいことではありません。予備知識を持たない相手に専門知識を並べるばかりでは、コミュニケーションは成立しません。インタープリターが加わり双方向の理解を助けることがあるように、リスクコミュニケーションでは伝える情報とともに伝え方が重要ですが、そのスキルを持つ人材確保や養成はこれからの課題です。

広域事故では関係者が対話に直接参加することは困難で、メディアを通じて情報を入手することになります。国民に代わってブリーフィングの場に参加できるメディアには、その場の質問で不明点や疑問の解消を期待したいのですが、報道内容からはそのようなやり取りはあまり窺えません。公式の見解をそのまま伝えただけの印象があります。『専門家』の解説も平易な言葉に直しましたが、それがどのような意味を持つのかを十分に聞き出すことはできていなかったように思われます。国民や被災者の知りたいことや思いを伝えて納得のいく回答を得ることもできていたでしょうか。

過去に内分泌かく乱物質や所沢のダイオキシン問題が社会的な関心を集めたときに、メディアは最もセンセーショナルな情報や市民の素朴な疑問をそのまま報道して、いわゆる「風評被害」を引き起こしました。知りたい情報を聞き出す「質問力」には、問題の本質的な理解とともに社会からの反響を予測する洞察力が求められますが、今のメディアにそれが充分に備わっていないように思うのは、私だけではないでしょう。大多数の国民は放射性物質や化学物質のリスクについて正確な知識を持ちません。情報の媒介者(メディア)は国民に代わって必要な情報を入手し合理的・科学的に判断することが求められますが、それの不足が「風評被害」の一因となったように思われます。リスクを科学的に理解するにはある程度の専門的知識が必要になります。メディアは最前線に位置する情報の受け手として、そしていわばリスクコミュニケーションのインタープリターの役割も期待されているので、必要最低限の専門的知識を備えておくことが望まれるのではないでしょうか。

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