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世界における化学物質管理制度の動向

  1. このコラムは、世界の化学物質管理法規制対応のコンサルタントとしてご活躍されている株式会社ハトケミジャパン代表取締役の宮地繁樹氏に、化学物質管理制度の歴史を振り返りながら、欧州や米国、東アジアなど、世界各地域や国における最新動向を俯瞰し、さらに今後の方向性について専門的観点から執筆いただきました。
  2. このコラムに記載されている内容に関し、法的な対応等を保障するものではありませんのでご了承ください。
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目次

第1回 世界における化学物質管理制度の動向 (1)

1.はじめに

  現在、化学物質の管理に関する制度・規制は大きく動いています。我が国では令和3年7月に公表された「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」を受け、労働安全衛生法が大きく変わろうとしているところです。また、「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」では、指定化学物質について大幅な見直しが行われ、令和5年度から変更されることになっています。動きがあるのは日本だけではありません。EUでは循環型経済を目指し、化学物質に関する各種の規制について見直しが行われています。

  このような動きは欧州や日本などに限られたものではありません。化学物質管理と云う面では後発である東南アジア諸国でも、GHSを基軸とした新たな化学物質管理制度の導入が進んでいます。各国はバラバラに制度を導入しているのでしょうか。それとも、ある一定の調和した動きがあるのでしょうか。そして、世界の化学物質管理制度は、今後、どのような方向に向かっていくのでしょうか。この総説では化学物質管理制度の歴史を振り返りながら、世界の動向を俯瞰し、そして今後の方向性を考えていきたいと思います。本総説は全二回で完結致します。今回はその第一回目となります。

2.化学物質管理制度の歴史的な背景

2.1 化審法の制定と経済協力開発機構

  先ず、化学物質管理制度の歴史的な背景を振り返ってみましょう。我が国の「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律 (化審法)」は1972年に制定されました。米国のTSCA (Toxic Substances Control Act)は1976年に制定され、欧州REACH規則の前法とも云える「指令67/548/EEC」は1967年の制定です。1970年代には、日・米・EUにおける、いわゆる「包括的な化学物質管理法」が出揃ったことになります。この三か国・地域が、長く世界の化学物質管理をリードしました。

  この当時、化学物質管理法及び制度の方向性及び整合性について大きな役割を果たしたのが「経済協力開発機構 (OECD: Organisation for Economic Co-operation and Development)」です。OECDは国連とは別の国際機関であり、欧米諸国、日本、韓国やオセアニア等の38カ国が参加しています。1970年当時、OECDの加盟国における化学品生産は、全世界の83%を占めていたそうです※1。当時、実質的に包括的な化学物質管理を行っていたのは日・米・EUだけだったこともあり、OECDの影響力は大きいものでした。この当時、OECDが定めた制度としては、OECDテストガイドラインやGLP、そして「安全性データの相互受入制度(MAD: Mutual Acceptance of Data)」等があります。

  皆さん、ご存じのように最近は中国や東南アジア諸国、ロシア、インドと云った国々の動きも重要になってきています。しかしながら、これらの国々はOECDに加盟していません。このため、OECDもその影響力を十分に行使できないところです。とは云っても、現在でもOECDの活動、そしてその影響力を無視することはできないでしょう。OECDテストガイドラインはOECD非加盟国においても用いられており、実質的な安全性試験法の世界標準になっています。タイはOECDに加盟はしていませんが、2020年、「安全性データの相互受入制度」に加入しました ※2。これによりタイ当局は、OECDテストガイドラインに従い、GLP下で実施された安全性試験データであれば、OECD加盟のどの国で実施されたものであっても受け入れることを意味します。つまり、タイは化学物質管理制度の導入について本気になってきているのです。この他、アジア諸国としては、現在、シンガポール、インド、そしてマレーシアが「安全性データの相互受入制度」に加入しています※3

  コロンビアは2020年にOECDに正式加盟しました。これが一つの契機となり、コロンビアは現在、既存化学物質名簿の作成に着手しているようです※4。また、今年の6月に開催された第42回国連GHS専門家小委員会会合では、GHSの国連レベルでの活動について、OECDの更なる関与について議論がなされています※5。このようにOECDは、以前程ではないにしても、主として実務的な面から、世界の化学物質管理を支えているのです。

2.2 地球サミットとAgenda 21

  次に国連の動きを見てみましょう。1992年、ブラジルのリオデジャネイロで地球サミットが開催されました。当時は未だ20世紀だった訳ですが、来たるべき21世紀に向けて、地球環境のために人類は何をすべきかについて話し合われました。ここで纏められたのが、国際的枠組みの行動計画であるAgenda21※6です。Agenda 21はその第19章がそのまま化学物質管理に充てられており、1990年代には化学物質管理の重要性がサミットレベルでも共有されていたことが解ります。

  Agenda 21の第19章において、GHSを2000年までに開発することが目標として定められました。実際、GHSの初版は2000年には少し遅れましたが、2003年には出版されています。後にも述べますが、このGHSが現在、そして今後の世界の化学物質管理制度の動向を考える上での鍵になるものと思います。また、ストックホルム条約やロッテルダム条約そのものもAgenda 21に記載された目標の結果と云うことができます。このように、経済的な面での先進国のみが加盟しているOECDではなく、新興国も含めた国連が化学物質管理について影響力を及ぼしてきました。化学物質管理が経済発展が先行している国だけの問題ではなくなってきた為、当然の流れです。

  しかしながら、OECDの決定と異なり、国連の活動には多くの場合、法的な拘束力はありません。このため、国連レベルでは大枠及び方向性を決めることに留まります。各国の政治的な体系等が異なるため、当然のことです。

2.3 2020年目標

  地球サミットから十年後の2002年、南アフリカのヨハネスブルグにおいて、第二の地球サミットとも云える「持続可能な開発に関する世界首脳会議」が開催されました。この会議では「持続可能な開発に関する世界首脳会議実施計画」が定められています。ここで決められたのが、聞いたことがある人も多いと思いますが、「2020年目標」です。これは正式には以下のようなものです※7

透明性のある科学的根拠に基づくリスク評価手順と科学的根拠に基づくリスク管理手順を用いて、化学物質が、人の健康と環境にもたらす著しい悪影響を最小化する方法で使用、生産されることを2020年までに達成することを目指す。

  この2020年目標によって、世界の化学物質管理制度は大きく牽引されました。欧州REACH規則の導入も2020年目標が後押ししました。また、化審法の平成23年改正も2020年目標が原動力です。このように世界の化学物質管理政策を引っ張った2020年目標ですが、今年はもう2022年です。コロナウィルス問題が続いているとは云え、当然ながら新たな目標の設定が必要となっています。

  この2020年以降の目標、Beyond 2020については、2020年にドイツで開催予定だった「第5回国際化学物質管理会議 (ICCM5)」で話し合われることになっていました。ICCMとはInternational Conference on Chemicals Managementの略で、「国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ」、いわゆるSAICMの進捗を議論する会議です。しかしながら、長引くコロナ問題によりICCM5は延期されており※8、Beyond 2020についての明確な方向性が示されていない状況です。今後の世界における化学物質管理制度の動向を考える上で、ICCM5がBeyond 2020についてどのような目標・計画を立てるのかに注意する必要があります。

2.4 SDGs

  もう一つ忘れてはならないのが、皆さん良くご存じのSDGsです※9。SDGsはSustainable Development Goalsの略で、「持続可能な開発目標」と略されているようです。2015年に米国、ニューヨークで開催された「国連持続可能な開発サミット」で採択されたもので、今後、2030年までの行動計画が定められています。この行動計画は17個のGoalと、これを更に具体化した169個のTargetに分かれています。街中でも17個のGoalをアイコンにしたものを見かけることが多くなりました。

  化学物質管理に関係が深いものとしては、「3.すべての人に健康と福祉を」、「6.安全な水とトイレを世界中に」、そして「12.つくる責任、つかう責任」が挙げられます。また、労働安全衛生と云う観点からすると、「8.働きがいも経済成長も」も重要です。この他、化学物質が我々の生活に深く関与していることから、17個のGoal全てが化学物質管理に関係していると云ってよいでしょう。化学物質管理に特に関係が深いTargetを以下に示しています。Target12.4は2020年が期限になっていることに注意をして下さい。

3.9  2030年までに、有害化学物質、ならびに大気、水質及び土壌の汚染による死亡及び疾病の件数を大幅に減少させる

6.3  2030年までに、汚染の減少、投棄廃絶と有害な化学物質や物質の放出の最小化、未処理の排水の割合半減及び再生利用と安全な再利用を世界的規模で大幅に増加させることにより、水質を改善する。

12.4  2020年までに、合意された国際的な枠組みに従い、製品ライフサイクルを通じ、環境上適正な化学物質やすべての廃棄物の管理を実現し、人の健康や環境への悪影響を最小化するため、化学物質や廃棄物の大気、水、土壌への放出を大幅に削減する。

  今後の化学物質管理の究極的な目標は、このSDGsに沿ったものになることは間違いないと思います。SDGsは、世界中の国々の化学物質管理政策の方向性を示している訳です。

3.GHS

3.1 GHSの導入

   今後の世界の化学物質管理制度を考える上で、おそらく最も重要なものがGHSです。GHSについては、皆さんよくご存じだと思います。SDSの基礎となるものでもあります。GHSは国連の出版物ではありますが、条約等で導入が義務付けられているものではありません。とは云っても、多くの国々でGHSの導入が行われてきています。2019年に国連が出版した資料※10によると、GHSを導入していない国はアフリカや中近東、インド、モンゴル等、一部の国に限られています。逆に云うと、これらの国以外は完全ではないにしてもGHSを自国の制度に取り入れている訳です。特に東南アジア諸国は、GHSを基軸にして新制度の導入や既存制度の改正を進めています。化学物質管理に関する新興国では、既存制度が不十分であるが故に、素早く制度が導入されることがあり、注意が必要です。

3.2 GHSの問題点

  国連GHS文書は2003年に初版が発行されて以来、二年おきに改訂版が発行されています。現在の最新版は2021年に発行された改訂第9版になります。当然ながら各版によって内容が僅かに異なるため、GHSを導入していると云っても、どの版を導入しているかによって、GHSの内容が異なることになります。また、GHSではBuilding Block Approach (選択的導入制度)が認められているため、国によって少しずつ内容が異なることがあります。更に欧州CLP規則のように強制分類リストを保有している国と、強制分類リストを持っていない国があります。加えて云うと、国連GHS文書には濃度限界として二つの数値が併記されている場合があるのですが、この場合、高い方の値を採用している国、低い方の値を採用している国、そしてどちらを採用するかを定めていない国があります。

  このようにGHSは化学物質の分類及び表示を世界的に調和するものですが、必ずしも完全に調和したものではありません。また、同一物質であったとしても、欧州CLP規則における強制分類リストのGHS区分と、我が国政府の専門家が分類している、いわゆる政府分類におけるGHS区分は必ずしも一致していません。ここ最近の国連GHS専門家小委員会会合の資料を見ますと、GHS分類に関するグローバルリストの作成について、毎回議論がなされていますが、大きな進捗は無いようです。

3.3 GHSの今後

  おそらくですが、今後もGHSが完全に調和することは無いでしょう。ではどうなるのかと云うことですが、今後はそれぞれ地域毎にGHSが整合・統合していくことと思います。例えば東南アジアでは東南アジア連合 (ASEAN)のRegulatory Cooperation Project※11においてASEAN諸国におけるGHS制度の整合化を進めています。ロシアを含むユーラシア経済連合 (EAEU)では、GHS制度を含めた化学物質管理規制を一本化する動きがあります※12。中近東では湾岸協力会議 (GCC)がGHS制度の整合化を進めているようです※13。南米では南米南部共同市場 (MERCOSUR)※14やアンデス共同体※15の枠組みの中でGHS制度の整合化が検討されています。アフリカでは、現在のところ、GHSを導入しているのは南アフリカのみのようですが、UNEP等がアフリカ諸国のGHS導入の支援を行っています※16

  このように現在、世界中の国々でGHSを含めた化学物質管理制度の導入が進められています。当面のところ、この動きは留まることは無いでしょう。そして注意すべきことは、制度の基軸となるGHSは完全に整合したものではないと云うことです。その一方で、国連GHS文書そのものも変わっていきます。先に述べましたように、国連GHS文書は二年に一度の頻度で改訂されていきます。おそらくですが、今後はQRコードや電子ラベル等も議論され、国連GHS文書に取り込まれていくでしょう。また、新しいクラスも増えていくと思います。EUは国連GHSの専門家小委員会に対して、内分泌攪乱性や陸生生物に対する毒性等を新たなクラスとして提案することを考えています※4

  私たちは国連及び諸外国のGHS制度から目を離すことはできません。現在のところ、世界のGHS制度を牽引しているのはEUであり、EU版のGHS規則である欧州CLP規則が世界のGHS制度に大きな影響を与えています。EUの動きには特に注意が必要でしょう。

4.まとめ

  今回は第一回目として、化学物質管理制度の歴史を振り返ると共に、GHSの動向について見てみました。化審法が制定されて以来、ほぼ五十年が経過しています。この間、時代は二十世紀から二十一世紀になり、年号は昭和から平成、そして令和になりました。ITの進化と共に我々の生活も大きく変化しています。この生活の基盤となる科学技術を支えてきたのが化学物質であり、化学技術です。この五十年の間、先人の努力により、化学物質管理の制度も大きく変わってきました。そして今後も変わっていくでしょう。
   次回は、現在の世界における化学物質管理制度の動向を見てみたいと思います。

※1  40 Years of Chemical Safety at the OECD, OECD, 2011,
https://www.oecd.org/env/ehs/48153344.pdf
※2  経済協力開発機構のHP:
https://www.oecd.org/chemicalsafety/thailand-joins-oecd-agreement-on-mutual-acceptance-of-chemical-safety-data.htm
※3  経済協力開発機構のHP:
https://www.oecd.org/chemicalsafety/testing/non-member-adherens-to-oecd-system-for-mutual-acceptance-of-chemical-safety-data.htm
※4  コロンビア政府のHP, 法案Decreto 1630 de 2021,
https://www.funcionpublica.gov.co/eva/gestornormativo/norma.php?i=173879
※5  第42回国連GHS専門化会合の会議資料,
https://unece.org/sites/default/files/2022-06/UN-SCEGHS-42-INF17e.pdf
※6  Agenda 21,
https://sustainabledevelopment.un.org/content/documents/Agenda21.pdf
※7  環境省のHP:
https://www.env.go.jp/chemi/communication/seisakutaiwa/dialogue/10/ref05.pdf
※8  SAICMのHP:
http://www.saicm.org/About/ICCM/ICCM5/tabid/8207/Default.aspx
※9  外務省のHP:
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html
※10  Global Chemical Outlook II, UN Environment 2019,
https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/27651/GCOII_synth.pdf?sequence=1&isAllowed=y
※11  ASEAN Regulatory Cooperation Project,
http://mddb.apec.org/Documents/2020/CD/CD2/20_cd2_015.pdf
※12  化学物質国際対応ネットワーク、ロシア及びユーラシア経済連合 (EAEU)における化学物質管理最新動向セミナー,
https://chemical-net.env.go.jp/semi_bn_2020.html#sem2
※13  Gulf Cooperation Council のHP:
https://www.gso.org.sa/gso/tcschedule/newProjectDetails.do?projectId=20609&setLocale=en
※14  UNECEの資料,
https://unece.org/transport/documents/2021/01/ghs-implementation-region-mercosur
※15  第38回国連GHS専門化会合の会議資料
https://unece.org/fileadmin/DAM/trans/doc/2019/dgac10c4/UN-SCEGHS-38-INF13e.pdf
※16  欧州化学品庁のHP:
https://echa.europa.eu/supporting-african-countries

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第2回 世界における化学物質管理制度の動向 (2)new

1.はじめに

  現在、化学物質の管理に関する制度・規制は大きく動いています。我が国では労働安全衛生法における化学物質管理制度が大きく変わろうとしているところです。また、令和5年4月1日からは「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法」における指定化学物質が大幅に入れ替わります。動きがあるのは日本だけではありません。現在、世界の化学物質管理制度にはどのような動きがあるのでしょうか。そして今後はどのような方向に進むのでしょうか。本総説は前回からの続きで、今回は第二回目となります。前回は化学物質管理制度の歴史を振り返ると共に、GHSの動向を見てみました。今回は諸外国における化学物質管理制度の動きを見てみましょう。

  従来、日・米・EUが化学物質管理政策・制度構築における三極として、牽制しあいながらも、同時に協力しあい、互いに発展してきました。現在は、これらの三か国・地域に加え、中国や東南アジア、そしてインドやロシア等、様々な国が影響を及ぼしあい、少し混沌とした状況になっています。各国・地域の動向を順番に見ていきましょう。

2.EUの動き

  では最初に世界の化学物質管理政策に大きな影響を与えているEUの化学物質管理制度を見てみましょう。皆さんよくご存じの欧州REACH規制の発効は2007年ですから、もう15年以上も前のことになります。当時から欧州REACH規則の影響は大変に大きなものでした。新規化学物質のみならず、既存化学物質であっても年間1トン以上製造又は輸入している事業者に登録を義務付けたこと、年間10トン以上の場合には事業者側にリスクアセスメントの実施を義務付けたことも重要ですが、更に重要なことは、サプライチェーンにおける情報伝達を明確に法律上の義務としたことだと思います。当局側ではなく、事業者側が主体となる欧州REACH規則の考えは、従来の化学物質管理制度を大きく変えるものでした。

  この影響を受け、韓国やトルコ等、欧州REACH規則と類似の制度を導入する国が現れてきました。台湾においても、限定された化学物質だけではありますが、事業者による登録制度が導入されています。この他、未だ導入はされておりませんが、ロシアを含む「ユーラシア経済連合 (EAEU)」のTR EAEU 041/2017※1や、インドのChemicals (Management & Safety) Rules※2は、欧州REACH規則の影響を大きく受けています。また、タイにおいても、以前より欧州REACH規則に類似した制度を導入しようとする動きがあるようです。

  このように、欧州CLP規則と相まって、欧州REACH規則の影響力は、現在も大変に大きいものです。欧州REACH規則が導入された頃は、REACHが三つになったら流れる(麻雀の流局になる)と云った笑い話もありましたが、流局になることもなく、欧州REACH規則は存続しています。EUの影響力は欧州REACH規則や欧州CLP規則だけではありません。欧州RoHS指令も世界中の人々に影響を及ぼしており、中国や韓国等、欧州RoHS指令と整合した制度を導入している国があります。

  EUではGreen Deal政策が進められているのですが、このための行動計画として2020年に第二次循環経済行動計画※3が策定されています。そしてこの計画達成の為に「持続可能性の為の化学物質戦略」が発表されました※4。これを読みますと、欧州の今後の化学物質管理規制について大変意欲的な内容が記載されています。勿論、全ての項目が期限通りに実現するかどうかは解りません。しかしながら欧州REACH規則が公表された時、このような制度は上手く行く筈がないと云われたものですが、結局、多くの事業者及び関係者の熱意により、2018年の登録期限まで漕ぎ着けました。EUは今後も理念を先行させながら、着実に化学物質管理を進めてくると思います。同時に諸外国の当局及び事業者に影響を与えてくるのでしょう。

  第一回目でも述べましたが、EUは国連GHS専門家小委員会に、新たなクラスとして内分泌攪乱性や陸生生物に関する毒性等を提案しようとしています※5。また欧州CLP規則の中に新しいクラスとして内分泌攪乱性等を導入するようです※6。EUの加盟国は現在、27か国であり、地域共同体としては大変に数が多い組織となります。OECDの会議では原則として多数決を取らないのですが、国連の会議ではやはり数が多い方が有利です。EUが一枚岩として行動する時の影響力は予想以上に大きいものとなります。

3.北米及び南米の動き

  では北米及び南米地域での化学物質管理制度はどうなっているのでしょうか。先ず、米国の動向を見てみましょう。米国のTSCA (Toxic Substances Control Act)は2016年6月、制定以来初めてとも云える大幅改正がなされました。この改正により当局である米国環境保護庁の権限が強化されると共に、既存化学物質名簿であるTSCA Inventoryの改訂、そして、評価すべき物質の優先順位付けが行われました。現在は優先順位が高い化学物質の評価及び管理規則の策定が進められているところです。米国TSCAでは、欧州REACH規則に見られるような、事業者による既存化学物質の登録制度は導入されておりません。既存化学物質の評価は原則として米国環境保護庁が実施しています。そう云う面では化審法に近いと云えるでしょう。

  事業者の対応としては新規化学物質の事前申請 (Pre-Manufacture Notification, PMN)があり、化審法と同様です。ただ、新規化学物質の事前申請に関して、化審法と大きく異なることは、事前申請の為に必要とされる安全性試験が定められていないことです。化審法では分解度試験や濃縮度試験等、必要な試験項目が厳密に定められていますが、米国TSCAでは、申請時に申請者が保有しているデータを提出することになっています。そして当局は構造活性相関等を駆使してリスク評価を行い、必要に応じて、実施する安全性試験や対応が定められることになります。このように物質毎にケースバイケースで対応していくのが米国TSCAの特徴であり、いかにも米国らしいと云う感じがするものです。

  また、現状、カナダは米国と比較的類似した化学物質管理制度を導入しています。そして導入するGHSについても、カナダと米国で合わせていこうとする動きがみられます。これはカナダと米国の間には「カナダ-米国規制協力協議会(Canada-United States Regulatory Cooperation Council )」※7と云うものがあり、この協議会の活動計画にGHSの整合化が含まれているためです※8

  更に2020年7月1日、米国、カナダ及びメキシコの間で「米国・メキシコ・カナダ協定 (USMCA: United States-Mexico-Canada Agreement)」が発効しています。USMCAは従来の「北米自由協定 (NAFTA: North America Free Trade Agreement)」を置き換えるものです。そして、そのAnnex 12-Aでは化学品規制についても三国の整合性を謳っています※9。現在、メキシコにおいては包括的な化学物質管理制度は存在しないのですが、今後、導入されるとしても、「米国・メキシコ・カナダ協定」の要請より、ある程度、米国TSCA寄りになることが予想されます。

  ブラジルでは2018年頃に包括的な化学物質管理法※10を導入しようとする動きがありましたが、立ち消えになりました。2019年には、既存化学物質名簿の作成を国に義務付ける「法案6120/19」が公表されています※11。この法案が成立すればブラジルでは初めてとなる既存化学物質名簿が作成されることとなります。また、詳細は不明ですが、この既存化学物質名簿にはGHS分類が紐づくようです※12

  この他、第一回でも述べましたように、コロンビアではOECD加盟が一つの契機となり、既存化学物質名簿の作成が開始されるようです※13。政令Decreto 1630 de 2021を見ますと、新規化学物質については、製造者又は輸入者によるリスク評価が義務付けられているようです。このように北米のみならず南米においても、より精緻な化学物質管理制度を進めていく動きがみられています。

4.東アジアの動き

  韓国では欧州REACH規則にかなり類似した制度、いわゆるK-REACH (正式名称は「化学物質の登録及び評価などに関する法律」)が導入されています。これにより、既存化学物質についても、年間1トン以上、製造又は輸入する事業者に対して、その化学物質の登録が義務付けられています。この他、韓国は欧州バイオサイド規則に類似した制度も導入しており、かなりEU寄りと云うことができます。

  中国は新規化学物質については「新化学物質環境管理登記弁法」が導入されています。また、危険化学品安全管理条例及びその下位法令も重要です。しかしながら、現在のところ、包括的な化学物質管理制度と云うものは存在しないと云えるでしょう。2019年には「化学物質環境リスク評価及び管理条例」のWTO/TBT通報がなされましたが※14、現在の状況は不明です。更に2020年10月には「危険化学品安全法 (意見募集草案)」が公表されていますが※15、これについても現在の動向は不明です。昨年、広東省の応急管理庁は、危険化学品のラベルにQRコードを義務付けることを要求する通知を出しています。また、中国ではこのQRコードのシステムを将来的には全国展開させたいと云う意図があるようです。

  全体的な流れとしては、中国は間違いなく、化学物質管理制度をより厳密にしようとしているようです。しかしながら、中国の動きはなかなか先が見通せないところです。中国はWTO加盟国ではあるものの、OECDの加盟国ではないため、自由に化学物質管理政策を進めている感じがあります。

  台湾は新規化学物質の事前登記制度に加え、106種の既存化学物質に限定されてはいますが、これらの化学物質を1トン/年以上、製造又は輸入している事業者に、その化学物質の登録を義務付けています。この部分に着目すると、台湾の化学物質管理制度は欧州REACH規則に類似していると云うことができます。

5.東南アジアの動き

  現在のところ、東南アジアで新規化学物質の事前申請制度を導入しているのはフィリピンだけです。ベトナムやタイは、かなり時間をかけながら既存化学物質名簿を作成していますが、未だ完成には至っていないようです。新規化学物質の事前申請制度は、既存化学物質名簿の存在が大前提ですので、これらの国で新規化学物質の事前申請制度が開始されるのはもう少し先になると思います。また、タイでは2022年6月、いわゆるList 5.6の届出に関する通達を公表しました※16。これはGHSにほぼ整合した特定の要件に該当する化学物質を製造、輸入している事業者に対して届出を義務付けるもので、従来の制度を改訂したものになります。

  第一回でも少し述べましたように、東南アジア諸国では、GHSを基軸として制度の整備が進んでいます。ASEAN Regulatory Corporation Projectにより、ある程度、整合したGHS制度が導入されることと思います。また、ラオスやカンボジアと云った東南アジアの中でも化学物質管理に関する後発の国々においてもGHSの導入に意欲的です。東南アジア諸国は言語や宗教、そして発展の度合い等、相違点も多いのですが、一定の纏まりをもって動いているように感じます。著者は暫くの間、東南アジア諸国の化学物質管理制度構築に関与していたことがあるのですが、東南アジアの化学物質管理制度は今後、十年間で大きく変わるような気がしています

6.ロシア及びユーラシア経済連合の動き

  ユーラシア経済連合はEAEUと略され、2015年に発効しました。大変に若い地域共同体と云うことができます。現在の加盟国はロシア、ベラルーシ、カザフスタン、アルメニア及びキルギスの五か国です。ユーラシア経済連合では、2017年3月、「化学製品の安全に関するEAEU技術規則 (EAEU TR 041/2017)」を公布※17しました。この技術規則は新規化学物質や既存化学物質の登録、GHSやSDSの導入等、化学物質管理に関する包括的な制度です。欧州REACH規則の影響を強く受けていますが、混合物の登録を義務付けている等、異なる面もあります。

  当初、この技術規則は2021年6月2日に発効予定でしたが、遅れています。2021年1月に日本で開催された「ロシア及びユーラシア経済連合における化学物質管理政策最新動向セミナー」によると、本技術規制の発効は「早くても2022年11月30日」とされていました※18。現在のところ、未だ発効しておりません。ロシアとウクライナの戦争による影響等、不確定な要素が多く、今後の動向は先が読めないところです。しかしながら、この技術規則の導入に向け、ロシア産業貿易省は既存化学物質名簿を作成しています※19。ロシア以外のEAEU加盟国は化学物質管理については後発国と云うべき国々ですが、これらの国々でも包括的な化学物質管理制度を導入しようとしていることは注目に値すべきことだと思います。

7.インドの動き

  インドでは、現在、「Manufacture, Storage and Import of Hazardous Chemical Rules, 1989」と「Chemical Accidents (Emergency Planning, Preparedness and Response) Rules, 1996」により、化学物質の規制がなされているところですが、新たにChemicals (Management & Safety) Rules制定の動きがあります※2。Chemicals (Management & Safety) Rulesは、欧州REACH規則に大変に類似したもので、新規化学物質のみならず、既存化学物質についても届出等を要求するものです。勿論、GHSも導入されています。
  ただ、Chemicals (Management & Safety) Rulesについては、従来より草案が出ては更に改訂版が出ると云う感じで、コロナウィルスの問題もあり、先が見通せないところです。
  インドは14億人の人口を有し、中国とともに今後の発展が見込まれる国です。化学工業製品出荷額では世界第7位に位置しています※21。このため、インドの動きにも注意が必要でしょう。

8.終わりに

  以上、前回と今回で、化学物質管理制度の歴史的な背景から諸外国の最近の動向を見てきました。今後の化学物質管理制度はどのようになるのでしょうか。コロナウィルスのように、おそらく誰も想像していなかったようなことが起こる現代です。今後の予想は難しいのですが、やはりGHSが今後の化学物質管理制度の鍵となると思います。同時に、EUの化学品政策及び法規制は今後も諸外国に影響を与え続けると予想されます。更に、今後はサプライチェーンを通じた情報伝達に加え、サプライチェーン外に位置する人々に対する情報伝達も重要になってくるでしょう。この為には、QRコードのようなITシステムを活用した電子ラベル等の導入もなされるでしょう。また、今後は、未だ十分な化学物質管理制度が導入されていない地域においても、より精緻な化学物質管理制度が導入されていき、これらはある程度、地域的な整合性が取られるものと思います。

  そして、当局側ではなく、事業者側自らがリスクアセスメントを行い、安全性を確認することが、今以上に重要になってくると思います。現在、日本で行われている労働安全衛生法の政省令の改正はこれを志向したものです。事業者は国の規制に従うことは当然ですが、それだけではなく、より積極的な自主的対応が必要になってくるでしょう。同時に、化学物質を製造する事業者は、自ら製造した化学物質の安全性について、ライフサイクルを通じて責任を持つことが、益々重要になってくると思います。今後開催される第5回国際化学物質管理会議 (ICCM5)において策定されるBeyond 2020 の目標を見据えると共に※20、2030年までにSDGsの目標を達成していくことが必要です。

  従来、化学物質管理政策・制度構築の中心は日・米・EUでした。しかしながら、今後は中国や東南アジア諸国、インド等が益々重要になってくる筈です。これらの国々の化学品管理制度をある一定の整合性を持って方向付けるためには、OECDに加え、国連の更なるリーダーシップが必要となるでしょう。EUが公表した「持続可能性の為の化学物質戦略」には、「EUはEUスタンダードの実施をグローバルに促進することで国際的に主導的な役割を果たし、国際的な発言力を強化する」と謳われています。

  日本の化学工業製品の出荷額は、世界において中国、米国に続いて第三位です※21。EUの化学大国であるドイツを上回っています。日本こそ、国連やOECDの議論をリードしていくべきです。日本は東南アジア諸国等の化学物質管理制度構築の支援も積極的に行い、化学物質管理制度の整合化等に貢献しながら、世界の化学物質管理政策のリーダーとなっていくことが望ましいでしょう。

  今後、世の中は今まで以上の速さで変わっていくことと思います。グローバル化も更に進んでいくでしょう。しかしながら、化学物質及び化学工業の重要性は下がることはないでしょう。同時に、国際的に整合した化学物質管理の制度は、世界中の人々にとって益々重要になっていくと思います。過去半世紀に渡って構築され、進化してきた「化学物質管理制度」は、今後も更に進化し続けていきます。

  ライフサイクルを通じて管理され、国際貿易によって世界中に展開する化学物質及び化学製品に関与することは、世界に繋がっていると云うことです。化学物質管理に関与している方々は、自らの活動・業務が世界に繋がっていることを、是非、心に留めて頂きたいと思います。

※1  ユーラシア経済委員会のHP:
http://www.eurasiancommission.org/ru/act/texnreg/deptexreg/tr/Pages/TR_EEU_041_2017.aspx
※2  Indian Chemical Regulation HelpdeskのHP:
https://indianchemicalregulation.com/india-reach/
※3  Circular Economy Action Plan, 欧州委員会, 2020,
https://ec.europa.eu/environment/circular-economy/pdf/new_circular_economy_action_plan.pdf
※4  Chemicals Strategy for Sustainability Towards a Toxic-Free Environment, 欧州委員会のHP:
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_20_1839
※5  第42回国連GHS専門化会合の会議資料,
https://unece.org/sites/default/files/2022-06/UN-SCEGHS-42-INF17e.pdf
※6  欧州委員会のHP:
https://ec.europa.eu/info/law/better-regulation/have-your-say/initiatives/13578-Introducing-new-hazard-classes-CLP-revision_en
※7  カナダ政府のHP:
https://www.canada.ca/en/health-canada/corporate/about-health-canada/legislation-guidelines/acts-regulations/canada-united-states-regulatory-cooperation-council.html 
※8   カナダ政府のHP:
https://www.canada.ca/en/health-canada/corporate/about-health-canada/legislation-guidelines/acts-regulations/canada-united-states-regulatory-cooperation-council/work-plan-workplace-hazards-2019-2020.html
※9  USMCAのAnnex 12,
https://ustr.gov/sites/default/files/files/agreements/FTA/USMCA/Text/12_Sectoral_Annexes.pdf
※10  
http://hotsite.mma.gov.br/consultasubstanciasquimicas/wp-content/uploads/sites/32/2018/11/Draft-Brazil-Chemical-Control-bill_English-Revised_Version-CONASQ-meeting-September_-2018_MMA.pdf
※11  ブラジル下院のHP, 法案PL 6120/2019,
https://www.camara.leg.br/propostas-legislativas/2230281
※12  ブラジル下院のHP:
https://www.camara.leg.br/noticias/633361-projeto-cria-base-nacional-com-informacoes-sobre-substancias-quimicas/
※13  コロンビア政府のHP, Decreto 1630 de 2021,
https://www.funcionpublica.gov.co/eva/gestornormativo/norma.php?i=173879
※14  WTOのHP:
https://members.wto.org/crnattachments/2019/TBT/CHN/19_4789_00_x.pdf
※15  応急管理部のHP:
https://www.mem.gov.cn/gk/tzgg/tz/202010/t20201002_368140.shtml
※16  タイ工場局告示B.E.2565,
https://www.diw.go.th/webdiw/wp-content/uploads/2022/06/law-haz-moi-29062565.pdf ※17  ТЕХНИЧЕСКИЙ РЕГЛАМЕНТ ≪О безопасности химической продукции≫,
https://docs.eaeunion.org/docs/ru-ru/01413938/cncd_18052017_19
※18  化学物質国際対応ネットワーク、ロシア及びユーラシア経済連合 (EAEU)における化学物質管理最新動向セミナー発表資料,
https://chemical-net.env.go.jp/semi_bn_2020.html#sem2
※19
https://gisp.gov.ru/cheminv/pub/app/search/
※20  UN SAICMのHP:
http://www.saicm.org/Home/tabid/5410/language/en-US/Default.aspx
※21  グラフでみる日本の化学工業 2021, 一般社団法人日本化学工業協会, 2021,
https://www.nikkakyo.org/system/files/graph_2021J.pdf

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