近年の化学物質管理を取り巻く社会変化と国際的な動き
- このコラムは、花王株式会社 品質保証部門 技術法務・技術渉外センター、日本石鹸洗剤工業会の環境・安全専門委員、日本化粧品工業会の環境安全性部会、日本化学工業協会の化学品管理委員会新規課題対応WGおよび花王GFC(Global Framework on Chemicals)推進委員会事務局を兼任され、国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ(SAICM)の2020年以降の枠組み(ポストSAICM、GFC)に関する国際会議ICCM5にも参加された長谷恵美子氏 *1)に執筆をいただきました。化学物質管理に関する近年の国際的な動向において、活発な動きを見せるEUの規制は、国際的な影響力も大きく関心の高いトピックスです。2020年以降EUがGreen Dealの一つとして発表した持続可能な化学戦略(EU CSS)に紐づき、強化されつつあるREACH規則、CLP規則及び関連規則など、化学業界を牽引する企業の立場から、執筆をいただきました。
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目次
第1回 近年の化学物質管理を取り巻く社会変化と国際的な動き NEW
1.はじめに
化学物質管理の重要性が国際的に認識されたリオ宣言(Agenda21第19章) *2)から、2024年で32年を迎える。この間、化学物質を取り巻く社会・環境の変化は大きく加速化してきた。世界の化学物質管理は今後、どのような方向に向かうべきなのか。
この総説では化学物質管理を取り巻く社会・環境課題と国内外の動きを俯瞰し、今後の方向性を考えてみたい。第1回目は国際的な動きとして欧州、第2回目は国内の動きを紹介する。一企業として、一市民として、読者の皆様の一層の社会・環境への取り組みの一助となれば幸いである。
2.背景:化学物質管理を取り巻く社会環境変化の加速化
私たちは今、未曽有の環境危機、すなわち「Triple Planetary Crisis」という三重の危機に直面している *3)。この危機を乗り越えるためには、まずその内容を理解し、私たち一人ひとりができることを見つけることが大切な一歩と言えるだろう。
Triple Planetary Crisisとは以下の3つであり、これらは単独ではなく、相互に影響しあいながら地球環境に悪影響を及ぼしていると言われている *4)。
1. 気候変動:
温室効果ガスの排出は、地球温暖化による極端な気象や海面上昇などを引き起こす主たる要因の一つ。
2. 生物多様性の損失:
私たちの生活の基盤を支える多くの生物種が、減少や絶滅の危機に瀕している。
3. 汚染と廃棄物の増大:
プラスチック汚染や有害な化学物質が、私たちの健康と自然環境を脅かしている。
これらに対処するためのパリ協定(2050年カーボンニュートラル)、昆明・モントリオール生物多様性枠組(2030年ネイチャーポジティブ)、化学物質に関するグローバル枠組み~安全・健康・持続可能な未来のために化学物質と廃棄物の有害な影響から解放された地球へ~(Global Framework on Chemicals; GFC)、SDGsといった世界目標に個別に取り組むのではなく、包括的に取り組むことで相互シナジーが発揮されTriple Planetary Crisisへの対応の鍵となることが科学的に明らかになりつつある(2023 IPCC *5), 2023 G7コミュニケ *6) )。より一層、世界のステークホルダーの連携を通じた課題解決が期待されていると言えるだろう。
3.国際的な動き:
3.1. EU Chemical Strategy for Sustainability(EU CSS)
欧州連合(EU)の持続可能な化学戦略(EU CSS)は、毒性のない環境を目指す欧州グリーンディールの一環として2020年に発表された。この戦略は、化学品の安全性を高め、環境と人の健康を保護することを目指し、イノベーションと持続可能な化学品の開発を促進している。産業界にとっては関連56法令の見直しによる規制強化 *7)が大きな負担となる可能性がある。
3.2. EU REACH規則
REACH(登録、評価、認可及び制限に関する規則)は、化学品の安全な使用を確保するEUの法律である。製造・輸入者は化学物質のリスクを自ら評価し、安全情報を提供し、高リスク物質については認可を得る必要がある。2018年までに1t/y以上の既存化学物質(当時)の登録作業が完了し、現在はEU CSSの下、さらなる強化へと準備中であるが欧州選挙年であったため若干遅延気味である *8)。具体的には内分泌かく乱物質や1-10t/yの少量物質、環境フットプリントに関する情報提供義務化や特定ポリマーに対する登録義務化、混合物評価係数の導入等が検討されている。
3.3. EU CLP規則
CLP(分類、表示、包装に関する規則)は、化学品の危険有害性を識別し、一貫したラベル表示で情報を提供するEUの法規である。事業者による分類結果の届出と規制当局による調和分類を通じて危険有害性の高い物質・混合物の管理強化が進められている。EU CSSの下、国連GHSにはない新たな有害性区分(内分泌かく乱性(ED)、PBT/vPvB、PMT/vPvM)が追加された *9)。第二段階として2024年8月現在、自主的なデジタルラベルの導入や事業者による分類結果の届出時の根拠説明、またサステナブルライフスタイルの伸長に応じて詰め替えスタンドでの情報提供義務化等が検討されている *10)。
3.4. EU 化粧品規則
EUの化粧品規則は、化粧品の安全性を確保する法規である。最新の動向には、特定の有害な成分の使用禁止や制限、香料アレルゲン表示対象の拡大 *11)などが挙げられる。EU CSSの下、こちらも規制強化が進められている。現在、ナノマテリアル定義の統一や複合曝露・組み合わせ効果の考慮、デジタルラベルの活用等を盛り込んだ改正案が検討されている *12)が最も産業界にとって脅威と考えられるのがGRA (Generic Approach to Risk management) である。GRAは曝露やリスク評価を行わず、物質のハザードのみに基づいて規制する考え方であり、現行法ではCMR(発がん性、変異原性、生殖毒性)の高いもの(区分1A、1B、2)のみに適用されているがこれをほかの有害性にも拡張する動きがある *13) 。なおGRAは化粧品だけでなく、消費者製品(食品接触材料、玩具、育児用品、洗剤、家具、繊維製品)にも各関連法令において導入が検討されている *14) 。
3.5. EU 洗剤規則
EUの洗剤規則は、洗剤成分の生分解性を確保し、環境への影響を最小限に抑えることを目的としている。本法もEU CSSに基づき、最近はより厳格な環境標準を設定し、成分の透明性を高める動きがある *15)。
3.6. EU エコデザイン規則(ESPR)
EUエコデザイン規則は、エネルギー関連製品の設計時に環境への影響を最小限に抑えることを求めている。最近では、エコデザインの要件を拡大し、製品の寿命全体にわたるエネルギー消費を削減することや環境フットプリントの定義の更新と適用(算出と表示)等に焦点が当てられている *16)。デジタルパスポート(DPP)も優先製品カテゴリごとに規定化が進んでいる *17)。
☞日本企業への影響:欧州において製品(最終品・中間品ともに)を販売する場合、製品のサステナビリティ性能や慣行フットプリント等の情報を明示する必要があることから、早期に情報管理(入手・算定・提出等)の仕組みの構築が必要になるだろう。また自社製品(中間品)が他社を通じてEUに輸出されている場合には、トレーサビリティ等の対応も求められるだろう。
3.7. EUタクソノミー
EUタクソノミーは、持続可能な経済活動の分類システムであり、投資の透明性を高め、グリーンウォッシングを防ぐために開発された。タクソノミーは英語で「分類学」を意味し、2050年カーボンニュートラルやSDGsの達成に向けて、環境的に持続可能な経済活動を具体的に分類しその基準を公表し、それに基づいて企業が自社の取り組みをスコアリングして公表することで金融や投資家の評価や投資に活用される仕組みである *18)。6つの環境分野のうちの1つが「5.汚染の防止と制御」であり、現在検討されている基準として、SVHC等懸念物質リストにある有害物質を製品に含まないこと、製造プロセスにおいてSVHCを使用しないこと、懸念物質から代替していること、工場からの汚染排出が一定の要件を満たすこと、などが挙げられている *19)。
☞日本企業への影響:EUタクソノミー規則に基づくサステナビリティ情報開示がいよいよ2025年の会計年度から適用開始となる。2029年からは欧州に現地法人がある親会社も開示の対象になる *20)。サプライヤーとの協力体制の構築やデータの標準化が求められるため、サプライチェーン全体にわたるデータの一貫性と正確性を確保することが大きな課題といえるだろう。
※1 花王GFC推進委員会事務局
※2 Agenda 21:
https://sustainabledevelopment.un.org/content/documents/Agenda21.pdf
※3 UN News:
https://news.un.org/en/story/2024/07/1152136
※4 UNEP:
https://wedocs.unep.org/bitstream/handle/20.500.11822/33816/CCW.pdf?sequence=1&isAllowed=y
※5 :
https://www.meti.go.jp/press/2022/03/20230322002/20230322002.html
※6 :
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100507034.pdf
※7 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=COM%3A2020%3A667%3AFIN
※8 欧州委員会:
https://single-market-economy.ec.europa.eu/system/files/2024-05/CHEMTP%20Annual%20Progress%20Report%202023.pdf
※9 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/ALL/?uri=PI_COM:C(2022)9383
※10 欧州委員会:
https://www.europarl.europa.eu/RegData/seance_pleniere/textes_adoptes/definitif/2024/04-23/0296/P9_TA(2024)0296_EN.pdf
※11 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=celex%3A32023R1545
※12 欧州委員会:
https://single-market-economy.ec.europa.eu/news/commission-seeks-views-eu-rules-cosmetic-products-2022-03-28_en
※13 欧州議会:
https://www.europarl.europa.eu/legislative-train/carriage/revision-of-the-cosmetic-products-regulation/report?sid=6601
※14 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=COM%3A2020%3A667%3AFIN
※15 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/HIS/?uri=COM:2023:217:FIN
※16 欧州委員会:
https://eur-lex.europa.eu/procedure/EN/2022_95
※17 欧州委員会:
https://commission.europa.eu/energy-climate-change-environment/standards-tools-and-labels/products-labelling-rules-and-requirements/sustainable-products/ecodesign-sustainable-products-regulation_en
※18 欧州委員会:
https://finance.ec.europa.eu/sustainable-finance/tools-and-standards/eu-taxonomy-sustainable-activities_en
※19 欧州委員会:
https://finance.ec.europa.eu/system/files/2022-11/221128-sustainable-finance-platform-technical-working-group_en.pdf
※20 欧州委員会:
https://finance.ec.europa.eu/capital-markets-union-and-financial-markets/company-reporting-and-auditing/company-reporting/corporate-sustainability-reporting_en